50年。そして永遠に続く流れ

 50年前。曜日も同じ6月30日木曜日。
 ザ・ビートルズ日本武道館で最初のコンサートを行いました。今では、おおげさではなく日本の歴史の一場面といってもいいビートルズの日本公演は、ここから始まりました。
 節目の今年は何冊か書籍も発表されますし、メディアでも採り上げられる機会が増えています。そのいくつかを読んでいると、昔僕が中学生くらいで初心者ビートルズファンだったころと変わった部分があることに気づきます。一番大きいのが「ビートルズの演奏はファンの歓声にかき消されて聴こえなかった」というもの。少なくともファンの間では、これは間違いだったと修正されつつあります。記憶が確かなら来日40年のときにテレビのインタビューに答えた仲井戸麗市さんが「聴こえたよ。本当にビートルズ好きな子には聴こえたんだよ」と素敵なことを話していましたが、そのデンでいけば、好きじゃない「大人」には聴こえなかったのかも知れませんね(笑)。
 実際にコンサートを観た人のお話しを読んだり伺ったりしていて強く思うことは「ビートルズは本当に黒船だった」ということ。音楽が素晴らしいだけだったら、人気があるだけだったら、ビートルズ以外にもいたでしょうし、ひょっとしたらビートルズ「以上」の存在だってあったかも知れません。なのにビートルズが突出して語られ、愛される。客観的な「評価」「数値」では計れない「Something」がビートルズにはあったから。そうとしか思えません。よく言われる「当時ビートルズファンは少数だった」というのは確かにそうだったと思います。ただ、ファンベースではそのとおりだったとしても、あのものすごい警備や反対運動なども含めて、社会に与えたインパクトはとてつもなく巨大だった。ファンだった人、音楽の才能やセンスがあった人への影響はもちろんのこと、そうでない「一般の人」への影響もまたとてつもなかった。それがその後の日本の、少なくとも風俗生活を大きく変えたことは間違いないでしょう。まさに「黒船」、それ以外に適当な比喩ができないです。
 今週僕は、通勤の行き帰りにほぼずっと、「Revolver」ほか1966年あたりの曲ばかり聴いていました。モノとかステレオとか米盤「Yesterday And Today」CDとかを駆使して。全然飽きませんでした。何回聴いても感動し、発見がある。当時のファンのみなさんはこれをリアルタイム体験したんだなあと思うと、改めて「いいなあ」と思います。でもそのアフターマスは今も続いていて、それを僕も受け止めた1人なんだと思うと、自分のことなのに「すごいなあ」と思ってしまいます。僕よりも歳下のファンも大勢いるわけで、さらに続くわけです。そしてそのひとりひとりが、60年代のファンと同じようにビートルズを初めて聴いて感動し、その流れのなかに集うわけです。こうして永遠に続く「つながり」があると思うと、それこそ本当に「すごい」と思います。

 写真は今から10年前に刊行された「ザ・ビートルズ・イン・ジャパン 1966」のなかの1枚。滞在中の(東京ヒルトン)ホテルの窓から東京の街を眺めるジョン。ジョンの姿もそうですが、当時の東京の街並みも今となっては貴重です。