映画「この世界の片隅に」

 いい映画でした。原作を愛する者としては期待より不安の方が大きかったんですが、とても見事にあの作品に色をつけ、動かしていました。以下にあれこれ書いてはいますが、素晴らしい、価値ある映画だったことは間違いありませんでした。感動しました。
 以下、若干のネタバレを交えつつの感想です。


 ほぼ原作どおりで、時間の進行も同様でしたが、大きな違いは物語のスタート。原作より1ヶ月早く、昭和8年12月からスタートします。そのおかげで(?)、あまり知らない「昭和初期のクリスマス風景」が見られました。今と変わらぬ、平和で賑やかな日々。
 原作は雑誌連載もので、短いエピソードがほぼ同じページ数で連なっています。映画もほぼそれに沿った形で進行し、連載の「落ち」も律儀に描いていました。紙に描かれたコミックだから成立していたこの手法ですが、まさに「時間が一方向に向かって進行する」長編映画だとその丁寧さと律儀さが逆に単調な繰り返しのようになってしまいます。事実そう感じる瞬間もありました。
 それが鑑賞上の欠点にならなかったのは、舞台が「昭和19年から20年の呉・広島」ということを観客が理解しているから。映画の構成としては(一歩間違えば)盛り上がりに欠けてしまうようなところが、逆に「8月6日に近づく時間の折々」という時計となり、観客は弛緩することなく物語と相対することができました。説明的なセリフや演出を(原作と同じく)ほぼまったく排除しながら物語が成立したのは、それがあればこそです。
 淡々と続く日常が特別なものになっていたのも、それが直に体験できない昔だからという理由だけではなく「あの惨劇により永遠に奪われた」ことを、たぶんすべての観客が理解しているからでしょう。その意味で、この映画は「事前に了解しておくべきこと」がはっきりしている作品であり、映画は観客を心から信頼しているようでした。
 原作はそんなに長い物語ではありません。それでもある程度のアダプトはありました。 ネタバレになってしまいますが、白木リンのエピソードは、とても独特の形で刈り込まれていました。そのへん、評価が分かれるかしら。僕も正直心から同意というよりも「うーん、これでいいのかなあ」という気持ちです。完全なカットではないところがさらに気持ちをざわつかせます。彼女のエピソードは(「すずさんの子供時代の思い出」と「すずさん夫婦の関係」そして「当時の女性の社会的立場の対比」という三重の意味で)ちょっと不思議で複雑なものなので、作る側の人たちも苦労したのかもしれません(気になる方はぜひともエンドロールもちゃんとご覧になることをおすすめします)。
 あと、原作の下巻後半の「あの風景」はやっぱり完全再現とはいきませんでした。ただ、それはとても上手に処理していて感動しました。ここが一番の気がかりだったんですが、僕の貧しい想像(と不安)のはるか上を行く、悲しくて美しい「描き方」でした。
 声の主演をしたのんさん、とてもよかったです。他のキャストもみんな登場人物にぴったりの声と演技でした。
 もちろん絵の美しさも特筆もの。いろいろなところで評判になっている、綿密な取材のもとに描かれた当時の街並みや風俗は当然ですが、こうの史代さんの「あの絵」が「あの絵」のまま動く、それだけでも見る価値があります。
 クラウドファンディングで資金を集めての制作だったことも含めて、多くの人に愛されているということがよくわかる作品でした(年齢層さまざまな人で満席の映画館を眺めているだけで実感できます)。今年は「サウルの息子」「シン・ゴジラ」「君の名は。」など、タイプは違えど「カタストロフの渦中にある人」を主題とした映画を観ました。そのどれにもそれぞれの価値がありましたが、「この世界の片隅に」も、特別な映画でした。
 



写真はパンフ、コミック(下巻)、そして「公式アートブック」。「公式アートブック」は設定資料集兼取材記とでもいう本で、映画を観て感動した人は必携。コミック下巻は「すずさんにほくろがない」初版本です(笑)。