模倣ではなく、努力であった(1月28日の日記について)

 1月28日に書いた日記で、「テレビで、既成の曲にそっくりな曲が流れていることが多い。制作者は恥を知らないのか」という内容の新聞の投書を紹介しました。そのへんの事情について、僕の友人で音楽制作の現場で、実際に作曲や演奏に携わっているプロの方から、メールをいただきました。
 それによると、投書での指摘に相当するような場合は、既成の曲を模倣したというよりも、「著作権フリーの楽曲素材を使用した」か、「どうしても画面に合う曲を使いたいが、楽曲使用の使用料が高い・使用許可が下りないので、カヴァーや似た曲を使用した」ことが多いということでした。
 著作権フリーの楽曲素材については、そういうものがあることは知っていましたが、プロの現場で使われることもあるということは完全に失念していました(アマチュアが使うものだと思っていたんです)。カヴァーやよく似た別の曲を使うことの理由については、著作権に関する複雑な事情が絡んでいるようです。このことについては、僕も少しだけ聞きかじっていて知っていました。著作権が消滅していない楽曲については、著作権者の許可が必要であり、しかも使用料が必要だということで、まず許可が下りるかどうか、そしてその金額がどれくらいになるかで、時間と予算に制約がある場合、どうしても意図したとおりオリジナル楽曲を使うわけにはいかないことがあり得るということになるようです(よくCMなどで、ビートルズの『そっくりカヴァー』を耳にしますが、そのへんの事情によるようです)。
 現場で制作にあたっている人たちは音楽ファンが多く、できればちゃんと原曲を(きちんと権利を尊重して)使用したいのだけれど、かなわないために使われる手法なのだそうです。これは放送での話だけではなく、クラシックのコンサートで現代曲があまり演奏されないのは、著作権者がまだ存命中の場合、許可の問題と料金の問題で、収益が見込めないためだということをちょっと前にクラシック雑誌で読んだこともありました。著作権に関しては、僕が理解していない複雑な事情もあるらしく、そのへんを考えても、単純に「これこれの曲を使いたいから、料金を払ってオッケー」とかいうものではないそうです(日本語ロックの「王様」がビートルズの日本語直訳を発表しようとして、許可が下りなかったという話は一部で有名ですね。金沢明子には下りたのにね)。なので、新聞の投書の方のお怒りはごもっともですし、安易なパクリは許し難いですが、少なくともそうではない事情にもとづいて最善を尽くしている人たちがいらっしゃるということはきちんと明記しておかなくてはならないと考え、この文章を書いています。日記を読んで不愉快に思われた関係者のみなさま、すみませんでした。後の戒めのため、28日の日記の削除訂正等はいたしません。併せて読んでいただき、ご容赦いただければと思います。
 それにしてもこの著作権というものもいろいろ複雑ですね。今現在、違法ダウンロードという方面でこの権利についての論議が活発ですが、単純に「権利者vsユーザー」という図式に押し込めることができないもののようです。僕は数年前にコピーコントロールCDが登場したころからこの問題については(音楽ファンの立場からですが)興味を持ち、関係する書籍なども読んでいるんですが、わかりにくいところが多く、頭を整理できません。無許可でミッキー・マウス描いて発表したら大変だ、くらいことはわかるんですけどね(笑)。もう少し勉強しなければならないようです。
 今回のことで、僕は逆にテレビで使われる音楽を聴くのが楽しみになりました。この曲が使われた経緯は?とか、どういう事情でこんな感じの曲になったのかな?などと考えながらテレビを観るのは、なんだか楽しそうです。反省とは別に、新たな視点を持つことができました。いろいろ教えてくれた友人にも感謝したいと思います。そして番組制作のみなさま、これからもがんばってください。

2月2日の追記:この日記でのカギ括弧の中の文言は、僕が自分の文責の範囲で要約や強調のために描いたものです。日記で言及されている友人から来たメールの引用ではありません。メールは私信ですので、ここでは一切引用していません。微妙な話題であり、誤解を招くことは本意ではないので、ここに追記という形で明記しておきます。