優しい歌声に託して、一言の祈りを

 今日、デートリッヒ・フィッシャー・ディースカウの訃報がありました。その前にはドナ・サマーの訃報も。
 先日はレヴォン・ヘルムが亡くなり、次いでドナルド・ダック・ダンが、なんとこの日本で亡くなりました。
 もちろん訃報が重なったのは偶然です。こういうことはあり得るでしょう。それでも気持ちは重くなってしまいますね。
 これまた偶然で、しかも主観的なことですが、レヴォンにせよドナルド、ドナ、そしてディースカウにせよ、僕はその魅力に本当に気づいたのが初めて聴いてからしばらく経ってから、という共通点があります。ザ・バンドを初めて聴いたとき、なんの感銘も受けなかったことをよく憶えています。スタックスの音楽を聴き始めたとき、バックのミュージシャンなどには興味がありませんでした。ドナ・サマーは「MacArthur Park」をテレビで観たときに感動しましたが、その後聴いたアルバムはどれも「ディスコだなあ」という印象しか持たず、そのうちちゃんと聴くこともなくなってしまいました。フィッシャー・ディースカウはさすがにすごいとは思いましたが、感動したというよりも「よくわからなかった」というのが本音でした(なにしろ初めて聴いたのが30年以上前、クラシックファンだった叔父から強引に聴かされた「冬の旅」でしたからね。中学生にわかりっこないです)。
 それが、その後の長いリスナー遍歴の中で少しずつ聴く耳を養い、知識や経験を深め、「いいなあ」と思えるように、愛情を持てるようになっていったのです。ずっと聴き続け、自分も成長することで初めてわかる音楽の魅力。そういうものがあり得るのだと教えてくれたのが、彼らの芸術でした。僕が音楽を聴き捨てできず、しつこくずっと聴き続けるのは、そうした体験があるからです。まさに、そういう人たち、そういう芸術のおかげで僕はここまで来たという感じです。
 訃報に触れてからはひととおり彼らの音楽も聴きましたが、実は昨日から、ふとある曲を繰り返し聴くようになりました。上記の誰とも関係ない人の曲ですが、なぜかこの曲を思い出し、そして聴くたびに旅立った人たちのことを思います。その曲とはダン・フォーゲルバーグの「Leader Of The Band」。音楽家でもあった自身の父親への思いを綴った名曲ですが、先人への敬意に満ちた歌声と歌詞が、僕の気持ちを代弁してくれているように感じられます。とりわけ「魂に触れるその優しい響きを理解するには、僕は若過ぎた(His gentle means of sculpting souls took me years to understand)」という一行に。ダンもまた、数年前ですが病気によりその60年に満たない生涯を閉じています。
 僕たちはいつも、少なくとも自分の番が来るその日までは「見送る」側にいます。偉大な先人たちに、せめて一言の感謝の言葉と祈りを、優しい歌声に託して送りたいと思います。素晴らしい音楽をありがとうございました。みなさんの音楽はこれからもこの地上を満たしてくれることでしょう。心からご冥福をお祈りします。