スティーヴ・ジョブズさま、ありがとうござました

 昨日に続いて、今日も悲しいエントリです。
 僕が初めて買ったパソコンを購入したのは1996年の夏。ウィンドウズ95発売の翌年で、世はパソコンブームまっただ中。なのに僕が買ったのはマッキントッシュ(パフォーマっていう初心者向けの機種)でした。たまたま僕の親しい友人にはマックユーザーが多く、そしてそのマックユーザーの友人の勧誘(?)が強かったからでした。
 そして、それ以来僕はずっとマックを使っています。iPodiPhoneも持っています。Newtonまで持ってます。アップル関連の書籍もずいぶん読みました。僕はもともとハイテクや理系の趣味とは縁遠い人間でしたが、マックには、いやアップルには「持っていかれ」てしまいました。そしてアップルには伝説の創業者とすごいドラマがあったと知った頃(僕がマックユーザーになった数ヶ月後)スティーヴ・ジョブズはアップルに復帰しました。
 そこからあとのことは、今では世界中の人が知っている、いや、そろってリアルタイム目撃者になりましたね。今思い返すと、現実とは思えないほど劇的です。日本でのマックワールドエキスポ基調講演には、僕も何回か足を運び、名高い「プレゼンテーション」を直に拝見しました。カリスマ、天才と言われ、毀誉褒貶かまびすしい(今は賞賛の方が多いですね)ジョブズですが、僕が今思い出すのは彼の「なにかを造り上げるときの、徹底した美意識」です。僕はiPodの初期ロットからのユーザーですが(今も持ってるよ)、そのデザイン、色合い、少しずっしり来る重みまで含めて、信じられないほどしっくりしていて、そして「美しい」と思ってしまいます。
 僕たちが電化製品のデザインを賞賛するときはたいがいがその「機能美」を指しますが、iPodに代表されるアップルの製品は、単なるインダストリアルデザインを超えたなにか素晴らしいものを感じました。「1000回のノー」の果てに製品を完成させたといわれるジョブズ。でもそれだけなら他のたくさんの実業家だって同じようなことをしているはずです(日本にだって大勢いると思います)。そういう他の「努力家」とジョブズが決定的に違うところ、それが「なにを美しいと思うのか」「なにを実現したいと願うのか」という、強い強い美意識だったのではないかと思います。数年前ある友人が「iPodソニーが作るべきだったものだ。あの極限まで無駄を剥ぎ取ったデザインと機能は、日本の禅の産物としか思えない」と話していたのを憶えていますが、まさにそんな境地まで想像してしまうほどの「こだわり」でした。そしてそこにこそ僕は惹かれたのです。
 今年今月はiPod誕生からちょうど10年です。僕はそのとき(2週間ほどあとです)にはiPodのことを書こうと思っていました。ヘッドフォンステレオという「日本発」の文化を継承しつつそのあり方を21世紀仕様に磨き上げ、iTunes Storeで音楽の流通(と、その業界)そのものを根底から変えてしまったiPod。多くの人にとってまさしくパラダイムシフトだったと思います。少なくとも僕にとってはそうでした。音楽ファンとして、そうした場面にリアルタイムで立ち会え、購買という形であれ当事者になれたことは本当に幸いだったと思います。そういえばiPodiMacのCMにはポール・マッカートニーストーンズU2が登場しましたね。ウィンドウズ95のCMで「Start Me Up」が使用されたときはただ「『スタート』メニューにひっかけたんだな」としか思わなかったですが、アップルのCMで流れるロックの名曲やスターたちには、なにかアップル製品との密接な関わり、それも「美に対する意識」を共有しているような気がして、それも僕にとってはうれしいことでした。ご自身も音楽ファンだったジョブズ(なにしろ『アップル』という社名がそもそもそうですからね)、彼もまた間違いなく「クリエイター」だったんだと、月並みですが、思います。
 僕はこれからもマックを使い、iPodで音楽を聴き、そしてそのたびにそれをこの世に送り出してくれた「創造者」のことを思い出すでしょう。今はただ、世界を変え、僕の生活も変えてくれた偉大な才能に感謝とともに、心の花束を捧げたいと思います。ありがとうスティーヴ、あなたが変えた世界を受け継ぐ者の一員として、僕も僕の生きる場所で可能な限り「stay hungry stay foolish」でありたいと思っています。謹んでご冥福をお祈りいたします。