雨上がりの優しい歌声と夕刻の理性的無秩序(なんだそりゃ?)

shiropp2005-06-20

 朝起きたら路面はぬれているのに空は薄日がさしていて、どうやら夜のうちに雨が降ったらしいです。
昨日までのクラシックな気分から少し変えて、雨上がりにぴったり、というわけでもないですが、ジム・クロウチ。行きはジムのみで、ラストは「リロイ・ブラウンは悪い奴」で決まり。2度目の東京ドーム♪(by空耳アワー)。
 帰りは昨日からうって変わってセンティピードのB面からC面。会社帰りにこんなの聴きながら電車に揺られてるオヤジもいるんです。昨日からのクラシックな気持ちを、ヨーロッパつながりで自分のフィールドに戻そうという無意識の試みか?・・なんてな。
 これを初めて聴いたのは、もうずっと前、まだ現代音楽もフリージャズもなーんにも知らない頃で、ほんと最初はぶっ飛びました。このレコードを知ったのは、もちろんキング・クリムゾンからの流れだったんですけど、これを聴くと、インプロばりばりの「太陽と戦慄」期のクリムゾンすら抑制のとれた音楽に聞こえます。センティピードはアナログ2枚組のボリュームに、これでもかという感じでおびただしいスタイルと解釈が入り乱れる演奏です。しかもクリムゾンのライブが、一見すると各自好き勝手な演奏が偶然素晴らしい結果を生み出したように見えて、実はその都度全体をリードするプレイヤーがいて、そうとは気づかせずに高度なアンサンブルを構成するのに対して、センティピードの演奏は、まるで前後の関連がなく、悪く言えば「思いつき」ででき上がっているように聞こえます。
 これは結局僕が「わかってない」だけなのかも知れませんし、解説の類いも読んだことがないので断言できませんが、聴くたびに「この演奏に根拠や理由を求めても無駄」と思ってしまいます。そのくせ、そんな小賢しい知識やもっともらしさを超えたところに存在する音楽かというと、そういうふうにも聞こえません。音楽全体としては、どう考えても理性的なものだし、エモーションというよりは、こういう音楽を「つくってやろう」という意思を強く感じます。そしてその分だけ、本当に素晴らしい音楽が(引き合いに出すのは、前述のクリムゾンで十分でしょう)持つ「無意識のうちに、ある種の一線を飛び越えた感じ」は、ついに持ちえなかった、と感じます。
 クリムゾンでのキース・ティペットのピアノは大好きだし、彼がある時期のクリムゾンで最重要メンバーだったことは疑いもないですが、トータルな音楽家としてみた場合は、やはり「マニア向け」なんでしょうね。なーんて言いながら、何枚か持ってますけど(^^;。
 
 最後はモルゴーア・カルテットのクリムゾン(「太陽と戦慄パート1」「21世紀の精神異常者」)。うん、続けて聴くと、あきらかにモルゴーア・カルテットの方が音楽がイキイキとしている。他人の曲をカバー、しかもロックの有名曲を弦楽四重奏でやっているのに、オリジナルでアドリブまでかましているセンティピードよりも自由に音楽を鳴らしています。音楽とは、かくも不思議なものかな!・・・って、まだなんか肩の力が抜けてないなあ。
明日はきっと、もとのロックオヤジに戻っているでしょう。
Centipede: Septober Energy