音楽の不思議さ

 一昨日まで今年の最低気温を更新し続けていた僕の住んでいる関東地方も、昨日から少し落ち着いて、今日も小春日和でした。
 今日の行きはまずフランク・ザッパの「Jazz From Hell」からスタート。これはザッパの作品の中では異色作で、1曲を除いてすべてシンクラヴィアで演奏されたアルバムです。僕は後追いで購入したので知らないのですが、発表当時「非人間的」と批評されたらしく、ライナーで湯浅学氏の、ものすごく感情的な反論とザッパ擁護の(湯浅氏独特の文体で)文章を読むことができます。なにもそこまでというくらいのヒートアップぶり。よほど頭に来たのか、この作品に愛着があるのか。
 実際に聴いてみると、独特の響きではありますが、決して「人間性に欠ける」というようなものではないです。これが「非人間的」なら、ザッパの作品は全部そうです。ザッパがシンクラヴィアを使用した理由に、人間による演奏で自分の音楽が思いどおりに演奏されなくなるのを避けるためだったと(湯浅氏のライナーで)説明されているのですが、本当かなこれ?僕にはそうは思えません。というか、この作品がそれまでの作品に比べて画期的に「ザッパのセンスがいい形で出た」というのなら別ですが、決してそうではない、むしろ、僕たちファンがよく知っているザッパの、「一断面」を示したくらいのものだと思うからです。
 バンドでやろうがオーケストラでやろうが、ザッパはずっと自分の音楽を「正確に」演奏していたはずで、それはこのアルバムでも変わりません。湯浅氏のライナーはヒステリックに「人間性に欠ける」と批判した人たちを罵倒していますが、「一聴すると異様だが、根底にあるのはいつもと変わらぬザッパの底知れぬ才能だ、そここそ聴きとってくれ」と書けば良かったんだと思います。
 で、唐突に話が変わりますが、「Jazz From Hell」の後に、帰宅するまでずっと聴いていた「Trojan Dub Box Set」。ジャマイカのトロージャン・レコードが発表したダブのコンピレーションですが、これがまた「Jazz From Hell」とは全く対照的なローテクぶり。ある意味「正反対」の音楽のように聞こえます。ですが、これが優劣で語ることができないのが音楽の不思議さ。
 ダブのレコードは、ものによっては本当に音質がナニなものもあるのですが、それさえ魅力となり、鑑賞に耐えるものになっています。そしてなにより、リズムの力強さとしなやかさ。僕は優れたダブを聴くたびに、リズムセクションこそがポップスの要なんだと感じます。ジャマイカのダブと、アメリカの奇才によるシンクラヴィア作品。まったく出自の違う両者に共通するのは、前衛とポップさの同居、そして「簡単な形容に還元されない」音楽の本質なんだと思います。

 追記
 今回取り上げた両者について、もうひとつ、僕が感じるのは、「不思議なメロディ感覚」です。どちらも、一般的な意味ではメロディがない音楽なのですが、その音楽全体から(ザッパなら複雑な音の絡まりの中から、ダブならエコーやイコライジングされた楽器の重なりの中から)滲んでくる一種の「メロディ」が、大きな魅力です。これは、例えば優れたフリージャズの演奏に通じる「本当に意味の自由」なのかも知れません(すみません最後の部分は考察が不十分です。後日再挑戦します)。