ありがとうジョージ

 今日はジョージ・ハリソンの命日ですね。もう4年になるのか、早いものです。

 ビートルズで誰が一番好き?と問われたら、即答でジョンと答えます。そして髪の毛1本の差でポールが2番目にきます。ジョージはいつも、その後の存在でした。もちろん嫌いという意味ではありません。大好きな人でした。ただ、ビートルズの中で比較してしまうので、そういう言い方になってしまうんです。
 いつも思っているのですが、ジョージは、つくづく「比較されて割を食う」人だなあ、ということです。ビートルズ時代はもちろんあの2人で、解散してからは、行きがかり上エリック・クラプトン。クラプトンなんか、あの来日公演のとき、主役のジョージのソロの後にそれをうち消すかのような力のこもったソロを弾いて、なんかジョージの方が引き立て役みたいになっていました。「バングラディシュのコンサート」でも、一世一代の大舞台でのホスト(隠遁していたディランまで担ぎ出したんだから、もっと語られていい手腕と思います)なのに、なんか線が細くて、危なっかしい感じがするんです。きっとこの人には「オレがオレが」というところがあんまりないんだろうなと、いつしか思うようになりました。
 ジョージのレコードは、どれもが独特の「暖かさ」を持っています。人柄そのままという感じで、その「暖かさ」が好きな人にとっては、セールスや世評に関係なく、どの作品も愛せます。あの3枚組以外では、「Extra Texture」と「George Harrison」が大好きなアルバムですが、「Extra」の方はあまり評価が高いものではありません。でも、感じるんですよ。あの「暖かさ」を。決して派手ではないのに、はっきりと感じるジョージの個性。いわゆる「ロック的」な意匠ではありませんが、ジョージの才能と滋味がわかります。「George Harrison」に収録されている「Love Comes To Everyone」(クラプトンは「Back To Home」でカバーした曲です。以前このブログでも書きました)の、あの美しさは、天才ジョンや天才ポールが作ることができない種類の美だと思います。
 「Concert For George」のDVDを持っていますが、あれを観ると、「ああ、ジョージは幸福な人だったんだな」と思います。そうそうたる大物ミュージシャンが、ジョージの曲を演奏するのを観ていると、そのどれもに故人に対する愛情と悼む気持ちが、とても落ち着いた感じで表れています。例としてあげるのは失礼なのですが、フレディ・マーキュリーの追悼コンサートなどを観ると、演奏している側にどんなに気持ちがあっても、どうしても「お祭り」になってしまうんです。それがジョージのコンサートにはない。そんな尊敬を集められた、そんな交友を生前持つことができたジョージが、本当に幸福な人だったんだなあ、と思います。そう、あの、「オレがオレが」とはいわない、線の細い、そのままの人柄で音楽を創造できたんだなあと感動します。
 今日は1日ジョージの曲を聴きました。今日は1日、暖かい気持ちになれました。ありがとうジョージ。「すべては移り変わる」とあなたは歌ったけれど、あなたの仕事のいくつかは、永遠に地上にあって、聴く人の心に灯をともしてくれますよ。

 追記
 4年前、ちょうどジョージの訃報が届いたころ、僕は間近にせまった友人の結婚式で歌う曲の練習をしていました。友人からは「Here There And Everywhere」をリクエストされていたんですが、僕は勝手に曲を変え、「Something」を歌いました。友人には申し訳なかったですが、僕はどうしても、ジョージの曲を花束にして贈りたくなったのです。それが僕なりのジョージに対する追悼であり(結婚式で追悼というのもなんか不謹慎ですが)、ジョージのあの優しさを、結婚する2人に手渡したかったんです(当日は曲目変更は特に波紋を呼ぶことなく、無事に済みました)。「『Something』もいい曲だよね」と新郎新婦が言ってくれたのが、とてもうれしかったのを憶えています。それは僕だけでなく、ジョージにもそう言ってもらったような気持ちでした。