高い理想の轟音

 水曜日夜から具合が悪く、どうも風邪をひいたようです。結局木曜日は仕事を休み、金曜日はイベントものの仕事のために無理矢理出勤、土日は腑抜けのように休んでいました。今も咳が止まりません。ふう。
 そんなわけで土日はロックを聴くこともなく、もっぱらドレミちゃん用の童謡やディズニーを流していたのですが、そうするとだんだん「ロック聴きたい。。」とフラストレーションがたまってきます。
 で、今日。行きはイエスの「The Word Is Live」から「Awaken」やら「Tempus Fugit」といったあたり。トレバー・ホーン在籍時の「ドラマ」イエスは、ずっとファンから冷遇されていていましたが、初めて公式にリリースされたライブを聴いてみると、他の時期と寸分違わぬアンサンブル。トレバーのボーカルも含めて、疾走感バリバリの出来です。イギリスのファンに、もう少し我慢強さがあったらなあ、、。

 帰りはもっとハードな音が聴きたくなり、久しぶりにパール・ジャムの「Binaural」。
 その轟音のような音楽とは裏腹に、どこか責任を背負い込むことを拒否したような姿勢だったグランジ(無責任という意味ではないですよ。僕はグランジはちゃんと評価しています)から出たバンドの中で、パール・ジャムは格段に「熱い」バンドであり、そして技巧派であると思っています。どちらかといえば悲劇的な形でフェード・アウトした感じのあのムーブメントの中にあって、彼らだけは「ポーズとしてのグランジ」にならず、むしろみっともないくらい真面目に音楽を鳴らしました。例のチケット業者との戦いなど、僕は正直冷笑的に見ていたものです。でも彼らにとってそれは避けて通れないものだった。避けられないのなら立ち向かう。この単純で正しい姿勢が、彼らの本質であり、彼らを生き延びさせた理由なのだと思います。
 「Binaural」は、もう5年も前のアルバムですが、何の問題もなく僕の心に届きます。骨太でオーソドックスなギター・ロックの意匠をまといながら、様々な技巧を凝らした音楽。鳴らされるのは重い音であり、歌われる詩は重い言葉ではあるけれど、決して何かを諦めたものではありません。優れたロックがいつもそうであるように、簡単に今ある現実と馴れ合うのではない、高い理想を目指した音楽です。
 そしてもうひとつ。このアルバムを聴いていて、無性に、ニール・ヤングの「Greendale」を聴きたくなりました。「Be The Rain」の荒涼とした風景も、パール・ジャムと同じく、見果てぬ理想の姿なんだと感じます。明日はニールを聴こう。おやすみなさい。