これからも「Imagine」が禁止されない日本でありますように・・

 「今日はジョンの命日なんだ」と妻に話したところ、「ああ、それでさっきテレビで『イマジン』が流れてたんだね」という答えが返ってきました。
 25年。そんなに経ったなんて信じられませんね。「あの日」のことは今でも鮮明に憶えています。きっと世界中にたくさんそういう人がいるのでしょう。そして今日、そのことを思い出しているに違いありません。
 実は去年の今日、このブログにアップしようと思って書き出した文章がありました。書いているうちに日付が変わってしまい(笑)、結局未完成のまま放ってあるのですが、その主題は「愛と平和の使者みたいに崇め奉って、聖者扱いする空気なんておかしい、ジョン・レノンの本質はそんな安易なものじゃない、本当のファンならそれをわかってくれるはずだ」という内容のものでした。タイトルまで決まっていて、「ジョンを僕らの手に」とつけるつもりでした。書きたかったこと自体は今でも思っています。「Imagine」や「Love」、「Woman」ばかりが流れ、まるで「家族も平和も愛したりっぱな人」みたいな受け取られ方は、もう本当に、どれだけ書いても書ききれないほどの違和感があります。熱心なファンのみなさんならわかってくれますよね。そういうとらえ方は結局、ジョンの人物も業績も矮小化してしまうと思います。思います、が、、、、。
 今年は少し違う感じ方をしています。今の世相の危うさ、というか危なさを考えたとき、ともかくもそれに対置する存在としてジョンが必要とされているのなら、それはそれで受け入れようか、という感じ方です。湾岸戦争や9.11とイラク戦争の時、「Imagine」が(米国で)放送自粛の対象になったという話を聞いたことがあります(のに、事件直後の反9.11テレビ特番で「Imagine」歌ったニール・ヤングみたいなすごい人もいましたが)。僕たちファンが考える以上に、ジョンのメッセージは「敵」にとってこわいものなのかもしれません。それならばその影響力は使った方がいいんじゃないか。僕たちのような熱心なファンがきちんとしていて、いつでも「いや、ジョンの本当の姿と魅力はね、、、」と話してあげる準備さえ怠らなければ、ジョンの「ある一面」を有効に「使う」のもまるでだめではないんじゃないか。ちゃんと説明したらジョンも笑って認めてくれるんじゃないか。そう思うのです。ジョンを道具として考えているみたいで不愉快に思われた方もいらっしゃるかも知れませんが、今日はそんなことを考えています。
 この時期になると流れてくるもう一つのジョンの曲に「Happy Christmas」があります。イントロで2人がそれぞれ離婚して離れてしまったわが子にあいさつしている曲ですが、カウンターメロディで「戦争は終わるよ、あなたが望みさえすれば」とも歌っています。僕はこの曲の、身も蓋もないプライベートな部分と、世界に向けた平和のメッセージを違和感なく同居させてしまうジョンの底知れない才能にしびれます。そう、僕たちファンはわかっている。ジョンの魅力には様々な面がある。ならばどの面にもチャンスを与えましょう。「世界中のみんなが平和に暮らしているって想像してごらんよ」。うん、わかったよ。今夜は想像してみよう。あなたのどんな面もみんな一緒に愛そう。ジョン、あなたの「平和のメッセージ」は、あなたの「狂気の天才」と同じくらい魅力的ですよ。