祝!お尻丸出しギミック復活!

 2月22日問題につきましては、、、えーっ、現在のところ特に進展もなく日々が過ぎていきます。というか、さすがにお金がなくなってですね(笑)、しばらくは大人しくしてようかと、、。まあ、そういうことです。それでもピートのソロは、お店によってはそろそろなくなってきているものもあり、再入荷なんてないでしょうからちょっと焦ってます。戸川純は、某大きな輸入盤屋さんに大量の在庫を発見し、これならあと何週間かは大丈夫だと信じ、まだ意思決定していません。はあ。
 というわけで、今回買ったフー関連のブツのうち、今日の本題はキース・ムーンの「Two Sides Of The Moon」。
 これは1975年に発表された、キース唯一のソロ・アルバム。フーのメンバーはみんなソロ活動に熱心で、70年代についていえば、フーのオリジナル盤の何倍もソロが出ています。その中では、むしろ地味ともいえるキースのソロ活動ですが、さてさて、このレコードはそんな数の問題はどこかにいってしまうような作品です。
 このレコードを一言でいうと「楽しい酔っ払いレコード」でしょうか。キースといえばなんといっても「ロック界屈指の名ドラマー」ですが、ここでの彼は演奏家としてはまったく目立っていません。ドラムを叩いていない曲まであります。ボーカルをとっているのはソロ・アルバムだから当然とすると、一体何がこのアルバムでのキースの存在価値なのでしょうか?
 それは、結局は「キースのキャラクター」としかいいようのない、そういう雰囲気のレコードなのです。
 収められた曲は、どちらかというとオールドタイミーなロックンロールで、ビーチ・ボーイズの「Don't Worry Baby」やフーの「The Kids Are Alright」なんてものもあります。どの曲もけっこう豪華で実力派ぞろいのゲストがバックアップしていますが、印象としては重厚ではなく、軽々とした雰囲気を持っています。外に向かってなにかメッセージやコメントを発しているんではなくて、あくまで内輪の仲間で楽しんでいるという感じ。だから、一般的な基準をあてはめて聴いていくと「いかにも」なソロ・アルバムというあたりに、評価が落ち着いてしまいます。
 でも、ちょっと考えてみると、この時期(レコーディングは1974年から翌年にかけて)といえば、キースはアメリカの西海岸で、あのジョン・レノンと一緒に「失われた週末」を過ごしていたはずです。飲んだくれの日々。その中から生まれてきたレコードだと考えて聴くと、ああ、そうか。これはパーティなんだ、と思い至ります。
 「失われた週末」の時期にジョンが「Walls And Bridges」をつくったのは有名ですが、そのアルバムと「Two Sides〜」と、ニルソン(彼も一緒に飲んだくれていましたね)の「Pussy Cats」は、参加したミュージシャンがけっこう重なっていて、レコーディングも同じ時期です。つまりこの3枚は、「失われた週末」の成果(?)という側面を持っているのです。で、ジョンが酔っ払い、人生の岐路に立ちながら、無意識にその先を見据えていたのに対して、キースはもっと違うところでこの時期を過ごしていたんでしょう。それは「終わらないパーティ」としての人生というところで。
 「Walls〜」でのジョンと違い、「Two Sides〜」のキースは「楽しんで」います。フーの重厚さとも関係なく、思いきり好きな曲を楽しんで演奏しています。確かに彼のパブリックイメージはそういう面を持っていますが、ここでは「演じている」ようなわざとらしさは感じません。酔っぱらってるんで取り繕えないのか(涙笑)、キースの「楽しんでいる」様子だけが伝わってきます。そう、これはキースが僕たちを招待してくれたパーティなんでしょうね。少々キツイパーティですが。
 ラストの2曲、「In My Life」とニルソン作(そしてリンゴ参加。飲んべえばっかだこのレコード!)の「Together」を聴くと、僕はいつも切なくなります。明るくて友達が多い、大騒ぎのホストが、本当は誰よりも繊細だということを、誰よりも孤独だったということを、僕たちはすでに学んでいます。レコードを聴くことでいつでも参加できるこのパーティで、最後には僕たちは、かけがえのない友人を、永遠に失ったんだということを気づかされます。これは「Walls」にも「Pussy」にも感じない、不思議な悲しみです。もちろんキースは、そんな辛気臭いこと言わないで、楽しそうにお尻丸出しにしていますが。

Two Sides of the Moon

Two Sides of the Moon