音楽であり、祝福でもある

 今日の仕事もきつかった、、。身体は楽でしたけど(笑)。少し前に書いた「職場のもめごと」の業務は、ひとまず今日終了しまして、平和な日々が、、来ません(笑)。まあ、期末年度末で楽なわけはないんですけどね。今も現在進行形で「あっちやこっちの愚痴やら論議やらの聞き役」をやっています。今ではすっかり「最後に一言話して次の作業に入らせる」のが得意になってしまいました(笑)。救いといえば、育児があるという理由で比較的早めに出してもらえるというところですかね。はあ。
 で、そんな日の帰路に聴いたのは、ロバート・ワイアットの「Theatre Royal Drury Lane Sunday 8th September 1974」。
 これは、かの大御所ワイアットの復活コンサートを収録したものです。ファンの方には周知のことですが、ワイアットはこのライブが録音される前年に転落事故のために下半身不随になってしまいます。ソフト・マシーン、マッチング・モウルなどで活躍した技巧派ドラマーである彼は、事故によりドラム演奏は出来なくなってしまったのですが、類いまれなコンポーサー、シンガーとして復活、うれしいことに現在もマイペースでですが活動中です。昨年いくぶん唐突に出たこのレコードは、タイトルどおり事故の翌年、彼のシーン復帰を願う旧友のミュージシャンがバックバンドとして実現した「復活ライブ」の記録なのです。ファンにはうれしい、ロック史的にも貴重な記録です。
 しかし、聴いているとなぜか、そういう歴史的価値やエピソードはどうでもよくなってしまいます(ちょっと失礼な表現ですみません)。カンタベリー系の実力派で固められたバンドの演奏は申し分のないもので、それを聴くだけでもCDの価格分は軽くクリアーできますが、それ以上に素晴らしいのが、ワイアット本人の歌声です。
 このアルバムの演奏は、いわゆる「くつろぎ」系の演奏ではありません。どちらかというと「お部屋のBGM」向きではない、緊張感を保った音です。それでも聴いていて肩に力が入ったりしない。それはこの音楽が、本当の意味で外に開かれていて、「演奏者から出て、聴き手を求めて空間を流れている」ものだからだと思います。それを最もよく表しているのが、ワイアットのボーカルなのです。これはもう、聴いてもらうしか証明の術がないですね。でも、聴けばきっとわかってもらえます。さっきも書いたように、演奏は、ボーカルも含めて非常に技巧的で、たるいところなどまったくありませんが、かといって頭でっかちでアレンジ中心のものでもありません。確かな技術と心からのモチベーションにより演奏されているので、必ず「よい聴き手」の耳には届きます。いや、僕が「よい聴き手」って言いたいんじゃないですよ(笑)。音楽がそれほど素晴らしいってこと。いつも書いていますが「真のソウルはスタイルや人種、時代、地域とは関係ない」です。
 このライブに限らず、ワイアットの音楽は、常に「心から」奏でられていて、そしていつも何かを祝福している。誰それが何かを祝福するための音楽、というよりももっと純粋に、彼の音楽が「祝福そのもの」なんだと思います。
 CDの見開きには、ワイアットとバンドの面々の集合写真が載っています。これが、ワイアット以外のメンバーもみんな、事故によって車イス生活に入ったワイアットとお揃い(?)の車イズ姿で写っています。ギタリストとして参加したマイク・オールドフィールドもみんなと同じように車イス姿で、いいなあ。ワンマンだの独裁的だのいわれることの多いマイクが穏やかな表情でみんなと同じように、ワイアットを讚えている様子っていいなあ。やっぱりワイアットの音楽は、声は、祝福だ。
 と、いうわけで、今日僕はワイアットに救ってもらって、家に帰れました。ありがとう。明日はもっとがんばろう。

Theatre Royal Drury Lane

Theatre Royal Drury Lane