このベースが管楽器だったなんて!?

 お風呂から上がってテレビをつけたら、NHKニューオリンズの高等学校のブラスバンドを特集した番組をやっていました。後半から観ただけですのでそれなりの感想でしかないですが、例の台風以降、復興の進まないあの町で暮らす、主に低所得層の人たち(例によってその多くは黒人だ)の現状と、そこの高校生バンドの、マルディ・グラのパレードに出場するまでを取り上げたものです。番組は重いムードに始終し(テーマを考えたら当然ですね)、荒れ果てた町の映像も痛ましいですが、その中でブラスバンドの演奏は一条の光のように楽しく、かつてこの町であの音楽が興ったときもこうだったんだろうかと、浅はかな思いですが考えてしまいました。
 僕はあの台風の時にいろいろなところであった募金の呼びかけに「なんであんな世界一の金持ち国に募金なんてする必要があるんだ、自国でなんとでもできるだろ!?」と募金しなかった人間です。いくらなんでもそれくらいできるだろうと思ったのですが、僕の予想は悪い方に外れました。いや、少し考えればこうなるのでは、ともわかったはずですが、それにしてもこれほど鮮やかにそうなるとは、、。なんだかんだいっても自分の国のことなんだから、ちゃんとするんだろうという僕の考えは浅かったんでしょうか?
 テレビでは、高校生のバンドのために被災した親達が苦しい家計の中からお金を出しあってユニフォームを贈るところが紹介されていました。それを着たバンドがパレードの行進を開始し、町の中心に近づくにつれて、だんだん沿道には黒人の数が増えてきます。沿道の人たちはみな、その高校生達を応援に来ているのです。これはなんなんでしょうね。未だにここに住む彼らにはちゃんとした福祉や公的救済の手は入りにくく、救いは音楽なんでしょうか。それでは、あのニューオリンズ・ジャズの生まれたころと何が変わったっていうんでしょうか?
 いや、テレビをちょっと観ただけで熱くなってしまってすみません。でも僕は、募金をしなかったことを今後悔しています。僕たちポピュラー・ミュージックファンにとって、ニューオリンズは大恩のある土地です。1日でも早い復興を願っています。
 今聴いているのはダーティ・ダズン・ブラス・バンドの「Live:Mardi Gras In Montreux」。これ、タイトルどおりライブアルバムなんですが、初めて聴いたときにそのその楽しさとテクニックに唖然としたのを憶えています。ニューオリンズ・ジャズなんてほとんど聴いたことがなくて、あっても、いわゆるラグタイムののんびりしたものくらいだったので、その急速調の構成にビックリ、そしてそれが技術至上主義的でなく、あくまでエンターテインメントとして成立しているのにもビックリ。あまり知らないせいかも知れませんが、聴きながら「自分の世界の狭さ」を実感し、それを教えてくれる上質の音楽に触れた喜びにもひたれます。「The Flintstone Meets The President(Meets The Dirty Dozen)」ではアメリカ国歌が飛び出し、この国の人たちの国に対する思いに気づかされます(こういう曲を聴くと、僕のような他国の人間が知った風なことを言うのは失礼だな、と思います)。
 特筆すべき、というかこれが1番驚いたのがカーク・ジョセフのスーザ・フォンのベース。なんだこりゃ?スーザ・フォンてこんなにファンキーなのか?もうこれだけで嬉しくなっちゃいます。もともとブラスは好きなんですが、このバンドは本当に聴いていて気持ちいい!
 最初に書いた番組では、本番の行進に、経済的な理由で参加できなかった2年生の男の子が、テレビの中継を部屋で見ているシーンが登場します。来年はきっと参加する、という彼の言葉が実現するように願います。来年の今ごろは「時間がかかったけど、見事に復興したなあ」と思いながら音楽を楽しみたいと思います。

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