73年のボウイに余裕なんてなかった

 今日からしばらく、BS2でロック関連の映画をやるそうです。今日はデビッド・ボウイの「Ziggy Stardust Motion Picture」(1973年)。
 有名な話ですが、この映画でのボウイは、大センセーションを巻き起こしたキャラクター「ジギー・スターダスト」をその絶頂期に捨て去るということをしていて、ちょうどこの映画のときに「僕らの最後のショウ」とアナウンスして最後の曲を演奏しています。そしてこの「キャラを換える」「過去と決別する」という手法(?)はその後のボウイの定番となり、何年間も繰り返されることになるのもこれまた有名な話。
 家事やら育児やら(?)しながらの視聴だったので細かいところは不明なんですが(録画したからゆっくり後で観てみよう)、この頃のボウイの、異様といっていい風貌と雰囲気は、その後のどの時期の彼にも感じられない、いや、ロック・シーン全体でも異端といっていいものです。
 メイクアップしてステージに上がるミュージシャンは、この後たくさん出てきますし、シアトリカルなステージ演出というのも、それこそたくさんあります。ただ、その誰もが「誰それが化粧をしている」「これこれの台本に沿って進行している」というのがわかってしまうのですが(悪いといっているんじゃないです。そういうのも大好き)、70年代前半のボウイは、どこまでが演技でどこからが本性なのかがわからないところがあります。のめり込んで「ジギー」を気取っているステージ上にも芸術家ボウイの息吹は感じるし、バックステージで笑っているときにも、どこか「楽屋で素に戻っているパフォーマー」という感じがしません。すべてが混とんとしていて、簡単に分離して了解が出来ません。そういう、一種の熱病的な情熱の中でコンサートが進んでいきます。
 そしてこの演奏、これがまたすごい、古い撮影で画質音質ともに今の水準ではないのですが、それを差し引いても、とてつもなく粗く、荒いです。ミック・ロンソンのギターなどヘタなメタルなどなぎ倒してしまうような迫力、全体の演奏(かなり荒いです)、ボウイの歌、そしてアクションすべてがごっちゃになり、一種のパンクのような性急さで疾走していきます。スター幻想のパロディを演じながら、確かにこのときボウイには「高みから見下ろす」余裕なんてなかったに違いありません。だから、どれだけ段取りを増やそうとも、音楽からリアルな感触が失われることがないんだと感じました。
 映画の終盤、他人の曲を2曲演奏します。ストーンズの「Let's Spend The Night Together」とヴェルヴェッツの「White Light/White Heat」。両曲とも、オリジナルよりも遥かにスピード感も切迫感もある最高のカヴァーになっていました。まさにこのときのボウイの「本気度」がわかろうというものです。ストーンズの方は、後年「Aladdin Sane」で発表されるものと基本アレンジは同じで、すでにこの時期に、音楽的には「その後」が視野に入っていたことがわかります。
 先程、映像も音もよくない、と書きましたが、そのざらっとした感触も含めて僕が感じたのは、単なる「宇宙人的なルックスの大スター様とそれを崇めるファンたち」ではなく、芸術家とその信奉者の関係に対して誰よりも自覚的だった(醒めてはいないと感じました)1人の優秀なアーチストの、無二の記録だということでした。

 追記
 飛び飛びで観ていたんではっきり確証はないですが、楽屋にちらっとリンゴ・スターがいた(ような気がします)!見間違いじゃないよね?そういえばリンゴはマーク・ボランと親交があったし、ボウイとも親交があったとすれば、ちょっとおもしろい感じですね。グラムロック・シーンにリンゴもちょっと顔を出していたなんて。

 もう一つ追記
 映画の最後のクレジットで「1973年7月3日 ロンドン・ハマースミス・オデオン」と収録記録がでますが、僕の持っている「Sound + Vision」のブックレットには「7月7日」となっています。さて、どっちが正しいんでしょう?

Ziggy Stardust and the Spiders from Mars

Ziggy Stardust and the Spiders from Mars