「藤田嗣治展」、へザー、そしてリンダ

 今日は珍しく時間が空いたので、午後の予定をやり繰りして休暇にしてしまい、東京国立近代美術館に「藤田嗣治展」を観に行きました。
 終了間近とはいえ雨の平日なので、そんなに混んでいないだろうと考えていたのは浅はかで、入場券を買うのに約10分、それから入場までに約20分かかりました。入場してからも大変な混み方で、自分が行っておいてナニですが、絵を見る状況としては辛いものでした。絵はどれも美しいものでした。僕は絵を見る目はあんまりないんですが、エコール・ド・パリ時代の作品の背景(壁に掛かった皿や絵、布の模様など)の美しさは格別でした。今日観た限りでは僕は戦中戦後の作品(中南米時代から晩年まで)に惹かれました。特に軍の委託を受けて描いた戦争画は、単なる国策芸術の域を超えた「群像」で、これが観られただけでも並んだ甲斐があったと思います。サイパンの様子を描いたものがありましたが、僕は実際にサイパンのバンザイ・クリフやスーサイド・クリフなどを訪れたことがありましたので、胸に迫るものがありました。戦争画は一つの部屋に集められていましたが、その部屋では皆真剣に見入っていたのが印象に残っています。最後期の子どもがモチーフになった作品も良かったと感じました。
 実は藤田の展覧会を観るのは2度目で、1回目は10年以上前に、美術に詳しい友人達に連れられて行ったんですが、その時は今日ほど混んではいなかったように記憶しています。年月を経て評価と人気が上がったということなんでしょうか。
 さて、ビートルズネタです。今日の新聞・テレビで、ポールが奥さんのへザーと離婚したという報道がありました。巷では慰謝料がいくらだとか原因はなんだとか話題ですが、僕は正直それはどうでもいいです。離婚の原因・理由なんて結局は当事者にしかわからないものですからね。本人達が納得してるのならそれでいいです。楽しくはないですが。
 僕は不思議に、へザーにはあんまり個人的な思いがありませんでした。ポール再婚のニュースで最初に感じたのは「えっ、もう再婚なの?早くない?」というものであって、誰と?という感情はありませんでした。どうしてだかはわかりませんが。で、今もそのままの気持ちなので、ものすごく心が動くということがないのです。
 今日の離婚のニュースを聞いて最初に感じた、というか思い出したのは、不思議な事にリンダのことでした。考えてみたらリンダに対するロックファンの無礼な態度というのは大変なものがありましたね。ビートルズ・ファンの中にもそういう人は多かったと思います。僕もあんまり胸をはって「リンダの味方でした」とは言えません。レコードにクレジットされていても「本当に演奏してるの?」てな具合に見ていました。正直にいって、彼女に音楽の才能があるとは思えなかったんです。それは今でもあんまり変わりません。
 でも、不思議に、いなくなってしまったら、思い出すんですよね。4年前の来日公演での「Jet」。あのシンセのソロを聴いた時に瞬間「あれを今弾いてるのはリンダじゃないんだ」と思ったんです。そんなことを思うなんて自分でも予想していなかったんで今でも憶えているんですが、そう思って「Driving Rain」を聴くと、あのリンダの声が聞こえないのが物足りないんです。存命中は決してそんな風に考えた事はなかったのに。
 へザーと一緒のポールは、確かに幸せそうではありましたが、リンダといたときの方が、なにかもっと深いところで幸せを感じているような感じがします。確たる根拠はないのですが。
きっと夫婦というのは、いや、人間の関係というのはそういうものなのかも知れませんね。メリットや理由があるから一緒にいるんではない。理屈や利害とは違うところで繋がったり離れたりするのかもしれません。ポールとリンダの結婚生活は、ある意味でけなされることが多かった日々でしたが、振り返ってみると、あんなに幸せに一緒にいられたなんて素敵だなあ、と思います。
 今聴いているのは「Wings Wild Life」。「I am Your Singer」や「Love Is Strange」など、リンダの出番がとても多い作品。世評の低さが信じられない名作ですね。一度で良いから「Mambo」を生で聴いてみたいです。
 なんかへザーとの離婚で始まったのに、リンダのことばかり書いてしまいました。こんなにリンダの事を書いているなんて自分でも驚きです。リンダを見送り、へザーと出会い、そして別れて、今ポールは何を思っているんでしょう?ジョンの代わりは誰も出来なかった、そして、リンダの代わりも誰もできない。そういう事なのかも知れません。
 ポール、来月は64歳の誕生日ですね。素敵な誕生日がやって来ますように。

Wings Wild Life

Wings Wild Life