心に響く、眼差しと歌声

 僕の音楽的な「故郷」は、いうまでもないですがイギリスです。なんですがここ2年ばかりは意識してアメリカのものを聴いています。それまでももちろん聴いてはいたんですが、最近はそれまで疎遠だったカントリー畑の人たちやR&B、ファンクなどに注意を払っています。まあ、いきなりなんでもかんでも聴いて理解する事はできませんから、あれこれと手を出しながら少しずつ進んでいく感じですね。あの広い国を旅するのは骨が折れますが楽しいです。ブライアン・ウィルソンの「SMiLE」の本当の偉大さがだんだんわかってくる感じ。で、ディクシー・チックスにもそんなリスニング・ライフで出会いました。今日のお題は彼女たちの新譜「Taking The Long Way」。
 あのブッシュ批判の発言以来、激しいバッシングに遭い、それでも決して考えを変えなかった(雑誌の表紙にバッシングの内容をボディペインティングしたヌードで登場したりしてましたね)彼女達。当然ニューアルバムはあっちの側からもこっちの側からも予断を持たれてしまいます。で、どうだったか?
 僕の現在の感想は、「あっぱれ」の一言です。ライナーを書いている五十嵐正氏も書いているように、僕たちのような悪しき第三者(五十嵐氏のことを『悪しき』といっているわけではありません念のため)は、もともと政治的な存在でなかった彼女達の姿勢をどこか斜めから見てしまい、「新譜では軌道修正があるんじゃないか」というふうに考えてしまいます。ところが彼女達は、まさに堂々と、自分たちの発言とその波紋、その後の世界の動きというものに向き合い、アルバムとして完成させました。
 「高校時代のの友人達はみんな高校時代の恋人と結婚し、親と同じ郵便番号の住所に家庭を持った、だけど私にそれはできなかった、私は長く長く続く旅路を今も歩き続けている」と唄うオープニングから、明らかにこの3年間に彼女達が味わい、学んだ事が息づいています。
 「Not Ready To Make Nice」(イイコになるなんてまっぴら)という歌の冒頭ではこう言っています。「『許す』って心地良い響きね、でも『忘れる』ことなんてできない」これは、心のどこかで「なんだかんだいって政治的な立場からは離れるんじゃないか」なんて高をくくっていた僕にはぐさりときました。そしてこう続きます「こんな手紙がやってくる。余計なことはしゃべるな、ただ唄っていればいい、さもなければ息の根を止めるぞ」「『水に流そうじゃないか』と言われるけれど、私は今も待っているの」。
 ここに全てを書き出す事はできませんが、どの曲も切実に、あるときは直接、あるときは行間に滲ませるように、自分たちの新しい局面を唄っています。誰かに頭を下げる事は決してない(だって彼女達にそんなことをする理由はないんですから)、でも固有名詞をバンバン使って誰かを非難することもない。あるのは自分たちのくぐり抜けてきたものから生み出されてきた音楽を誠実に奏でるという姿勢です。そしてその音は、しっかりと地に足のついたアメリカのロックという風格で、もともとハイトーンで声量のあったボーカルによく映える聴き応えのあるもになっています。
 「Vote For Change」キャンペーンはブッシュ再選という形で「敗北」したわけですが、たくさんのアーチストの連帯を実現させ、その中から優れた作品が出てきています。「Taking The Long Way」もその一つであることは間違いないでしょう。そしてそれがあのテキサス州出身のカントリーユニットから生まれてきたということが、アメリカという国の底知れないところなんだと思います。
 アルバムの最後「I Hope」。「日曜日には説教では『殺すなかれ』以外は聞きたくない、殺す事が神の意志だなんて話は聞きたくない」と始まるミドルテンポの曲は、サビではこう語りかける「私は願う、もっと愛を、もっと喜びを、もっと笑いを」「私は願う、あなたが望み以上のものを手にする事を」「私は願う、あなたに幸せな結末が訪れることを」。機会があったら、ぜひこの作品、詞を読みながら耳を傾けてみてください。アメリカを探るということは、本当に思いがけないものに出会うということです。

TAKING THE LONG WAY

TAKING THE LONG WAY