40年、そしてまた新しい40年へ

 今朝、ドレミの泣き声で(せっかくの日曜日なのに)7時前に起こされ、偶然つけたテレビのNHKニュースで「ビートルズ来日40年で盛り上がってます」というニュースをやっていてビックリ。このブログでも度々書いていますが、本当に今年は特別ですね。この調子で行くと、10年後の50周年はもっとすごいことになるんでしょうね(笑)。いやあ、今から楽しみです。
 ビートルズ自身にとって、1966年は、少なくともコンサート活動については楽しいものではなかったはずです。日本はこんなだし、フィリピンでは、、、そしてアメリカでは、、、と考えると無理もないことですね。彼らの正史としても、まあ定説になっています。
 でも、日本人である僕らにとっては、まったく意味の違う年になっています。
 もしも彼らが日本に来なくても、ビートルズの人気や評価は高かったでしょうし、その後の彼らの歴史が大きく変わったかはわかりません。が、日本のファンにとって、彼らが来てくれたことが果たした影響はとてつもなく大きかったと思います。ちょっと客観的な言い方になってしまいますが、実際に彼らが来て、それを(実際にコンサート会場に行ったかどうかはともかく)実感で感じた、そのアフターマスは、それまでのなにとも違う性質のものだったんだと。よく、大きな影響を与えた外来のものに対して「黒船」という表現を使いますが、ビートルズ来日はまさしく、何度目かの黒船だったんですね。よくこの来日について「たった一度の」「この後は二度と来なかった」と言われますが、逆に「確実に一度はあった」ということの重要性は、何にも勝るんだと思います。
 当時の新聞の記事などを読むと、彼らの音楽への言及と、ファン自身の声がまったくといっていいほどないことがわかります(僕は大学時代、暇に任せて図書館所蔵の新聞縮刷版で確認しました)。つまり、当時の大部分の人にとってビートルズは大した意味はなかったんでしょう。僕の親(40年前は30代くらいです)くらいの人間にとっても、大騒ぎだったという印象しかなかったそうです。ところがその後の歴史が、その当時の評価をひっくり返してしまいました。そこにビートルズ来日事件の大きさと深さがあります。まさしく歴史の転換点だったんですね。
 今回の盛り上がりで、僕はいろいろ知らない事を知る事もできましたし、満足はしています(来日ネタがきっかけでブログにコメントをくださるようになったみなさんもいらっしゃいます)。でも、「大きな出来事だった」という話はメディアには出てきますが、不思議に、音楽に焦点を当てたものは少ないように思えます。当時ビートルズは「Revolver」をすでに完成させていて、まさに絶頂期を迎えようとしていました。「日本での大騒ぎの一方で、実は音楽はこのように成長していました」みたいな記事なり放送なりがあったら、もっとよかったのに、と思います。それとももう音楽については評価が済んでいるという前提なんでしょうか?
 今日は来日40周年について書かれたみなさんへのトラックバックをしたいと思います。僕は物心がついていなかったので当時の記憶はないですが、テレビで観た方もいらっしゃれば実際に武道館でコンサートを観られた方もいらっしゃいます。そのどれもが貴重なお話で、それらを読む事であの「事件」をいろいろな方向から考えたり、想ったりすることができるんだと考えます。
 あれから40年たちました。そしてまた明日からも月日は積み重なります。僕はどこまで見られるかなあ。確かにわかっていることは、僕が見られなくなった後も、ビートルズを想い、時に語るということは終りなく続くんだということですね。

Revolver

Revolver