追悼シド・バレット

 今日新聞にシド・バレットの訃報が掲載されていました。
 この人の説明は、正確にしようとすると長文になってしまいます。知っている人にとっては経歴など説明不要でしょうが、最近の彼の動向などはわからなくなっていましたし、ご存知でないという方に「ピンク・フロイドの創設者で、心の病でバンドを抜けた後ソロ活動もしたけれど、やがてシーンから消えてしまった」とお話しても、彼の存在の特殊さ、ロックシーンに与えたインパクトは伝わりにくいと思います。彼のインパクトは、フロイドに在籍していたとき以上に、脱退したあと、その後のロックの流れの中で高く評価されていったものでした。なんて書いている僕も、もちろんシドが在籍していた当時のフロイドを知ったいたわけではありません。「あなたがここにいてほしい」(僕にとっては70年代屈指の名曲です)が彼に捧げられた曲だったなんてことすらけっこう後になって知ったような人間です。それでもその後彼の音楽を聴くにつれ、その才能の大きさに強く惹かれていったものです。
 フロイドでの彼の音楽(フロイドはセカンドアルバムの制作途中までは、事実上シドがイニシアチブをとったバンドです)は、当時(1967〜68年くらい)のポップスのご多分に漏れず、サイケデリックなものでしたが、乾いたサイケというか、不思議なユーモア感覚が印象的なものでした。その音は繊細ではありますが、それ一方ではなく、むしろ大音量で鳴らされるギターがウエイトを占めるもので、他にたくさんいたサイケデリックバンドよりもずっとウルサく、変な表現ですが躍動的でした(そのへん、初期のヴェルヴェッツにも僕は共通した印象を持っています)。
 ソロになってからの彼からはその「躍動感」「やかましさ」が消え、(ほぼ)ギター1本ですべてを表現してしまうという不思議な世界になっています(すでに精神を病んでいて他の人との合奏が無理だったということもあるのかも知れません)。それはあの不思議なコードと歌声によってより強く印象づけられるもので、日常的に流すようなものではなかったかもしれませんが、年に何回か、ものすごく聴きたくなってのめりこむという感じでずっと愛してきました。ジェイムズ・ジョイスの詩にメロディをつけたものや、寓話とも悪夢ともとれる歌詞の曲など、どれも「力」を持っています。それはマッチョ的なものではなく、「詩人の力強さ」とでもいうような繊細さに感じられました。その繊細さゆえに心を病んでしまったのだとしたら、なんともやりきれないことだと思います。
 この文章はさっきまで「シドの音楽活動がもっと長く続いてくれていたらどんなによかったでしょう」という感じで結ぶつもりでした。でも、そんなことを書くのは、なんだかシドの人生を勝手に限定しているような気がしてるな、と思い立ち、ちょっと止めておくことにしました。
 僕のような人間は音楽ファンとして、音楽家シド・バレットを愛します。だからシーンから消えた後の彼を「終わった人間」として(暗黙のうちに)認識してしまいます。でもふと考えると、彼にとってはプロとして音楽をやっていた時間より、そうでない時間の方がはるかに長いはずです。たとえ心に病を抱えていて、それに苦しめられていたとしても、シド本人にとっての人生はそこに確かにあったはずです。だから僕はさっき書いたようなこと(音楽家であることを評価の基準にすること)をいうのは止めました(そう書きたい気持ちはありますが)。
 ネットで読んだニュースでは、彼は最近は絵を描くなどして静かに暮らしていたそうです。名声や喧騒とは関係ないところで穏やかに暮らす事ができ、そして(願わくば)それが彼の望みなんだとしたら、音楽活動がどうのということは失礼なだけでしょう。彼は人生の一時期素晴らしい音楽を創り、それは今でも世界のどこかで聴かれ続けている。その事実だけで十分です。
 シド、あなたの選んだ人生が、穏やかで幸福なものであってほしいと僕は願って止みません。その人生は、あなたが僕たちにくれた音楽と同じくらい価値のあるものだと信じています。どうぞ、心安らかにお眠りください。合掌。

その名はバレット

その名はバレット