1年前の海の日

shiropp2006-07-17

 昨年の海の日(7月18日)。妊婦だった妻と僕、両親とコピにとってはごく普通の「夏の1日」として始まりました。予定日は7月末日で、その準備を少しずつしながら、連休の最終日をのんびり過ごしていました。この日、妻は「なんだかときどきお腹が張る」と言っていましたが、病院の母親学級でも「本当の陣痛は大変な痛みだから、少し痛いくらいで大慌てで駆け込んでこなくても大丈夫」と教えられていたので、特に気にする事もなく普通にしていました。何しろ予定日まで2週間あるんだから。
 3時過ぎになって同居の両親とケーキを食べたとき、お腹の痛みの話を聞いた母親が「念のために病院に電話してごらん」と言うので妻が電話したのが4時過ぎ。一応来てみてと言われて車を出し、病院に着いたのが5時過ぎ(当日の駐車場の券で時刻がわかります)。
 病院に着いた時、お腹の痛みが段々増してきてたので、看護士さんが車イスを出してくれ、それに乗って産婦人科病棟へ。そこでドクターと「このままここで様子を見ましょうか、それともいったん帰ったほうがいいですか?」というような話をしていたんですが、そのうち妻の様子がなんか変に。僕がドクターと話しているときはベッドで横になっていたんですが、お腹の痛みが激しくなってきたと訴え始めました。陣痛かもしれないので「陣痛室」(そういう名前。分娩室のお向かいにあって、陣痛中の妊婦さんはそこで陣痛に耐えているんだそう)に行く事に。そこで検診したところ、お産が始まるかもしれない状態だと告げられました。
 まだよく状況の飲み込めていないノンキな僕は「じゃあ、一応家族に連絡してきます」と言ってそこを出て、公衆電話から両親に「こんな状態なんで、もしかするとこっちで一晩過ごすかも」とだけ話して陣痛室に戻ろうとしたところ、陣痛室と分娩室の間の廊下に、今し方まで妻が寝ていたベッドがあるんです。近づいてみたらベッドは血で真っ赤になっていました。松田優作じゃないですが、なんじゃこりゃ、という気分でふと分娩室に目をやると、分娩台には妻がいて、苦しそうにしています。部屋にはすでに数人のドクターやら看護士さんやらがいて「○○先生呼んできて!」とか叫んでいます。
 で、今だから白状しますが、そのときもまだ状況がわかっていない僕に向かって若いドクターが言ったのは「もうお産が始まってます。すぐに分娩になりますので立ち合いはできません(僕たちは立ち会い分娩を希望していたんです)。ここからは医者の指示に従ってください。何かありましたらお呼びしますから、ご主人は待合で待っていてください」
 僕も40ウン年生きてきましたがリアルで「ここからは医師の指示に従って」なんてドラマみたいなセリフ、聞いたの初めてでした。ともかく待合に行きましたが、えー、恥を晒すようですがまだその時も事の重大さに気づいていなかった僕は、とりあえずやることがないので、そこにあった「クレヨンしんちゃん」を読み始めました(だって本当にやることないんですよ)。
 40分ほどしたとき(7時20分過ぎ)にドクターが来てくれました。開口一番「おめでとうございます」で、つまりお産は終わったということらしい、えっ、分娩ってそんなに早く終わるの?と思っている僕をせき立てて分娩室まで行く間、ドクターは大意こんな事を話しました。「母体の急変への対応に追われて、胎児の心音モニターが少し遅れてしまいました。母体から出た後無呼吸だったんですがすぐにマッサージを施して、、、、」は?それはどういうこと?子供はどうなったの?妻は?待合から分娩室までは歩いて20秒ほど。その間相づちもうてないような勢いで説明された僕は、内容をきちんと理解する前にすでに分娩室に入っていました。
 そこにはお産を終えて(陣痛も去って)じっとしている妻と(まだ分娩台の上ですよ)、少し離れた台の上で小さな声を上げている赤ん坊がいました。声は小さいものでしたが確実に聞こえてきます。手足は紫色。「お父さん、もう少し近くに来てもいいですよ」と言われ近づくと、小さな手足もなんとなく動いています。分娩室は相変わらず大勢の人が動いています。空気もまだ緊迫している感じ(「小児科に連絡して!」とかいう声も聞こえます)で、喜んでいいのか、何か言っていいのかもわからないまましばらく赤ん坊を見ていましたら、ドクターの1人と看護士さんが「手足のチアノーゼ、、、あっこれはチアノーゼじゃないよ。ただのうっ血だ」と話し出し、それをきっかけに(僕の主観では)空気の緊張がとけてきました。待合で最初にドクターから言われたことは「最終的には全部大丈夫でした」という内容だったんです(笑)。
 その後は全てがスムーズ。予定日より早く、出産直後のこともあるので念のためNICU(小児科のICU)に入れますが、これは本当に念のためで、翌日には出られるでしょうという話(そして本当に翌日出られました)。保育器に入れられる前「お母さん、抱っこしてあげて」と言われて、まだ起き上がれない妻が寝たまま抱っこして、集中治療室行きの娘と一晩だけお別れ。妻が病室に行くところまで確認した僕は9時過ぎに帰宅。両親に報告し、妻の実家に連絡し、1日が終わりました。
 それから1年。誕生日である明日は平日なので、うちでは今日お誕生日のお祝いをしました。奇しくも1年前の海の日に食べたのと同じ店でバースデーケーキを買い、家族みんなで(もちろん主役のドレミは見るだけ)いただきました。いつもは「1歳になるのはまだ先だなあ」なんて思いながら過ごしていましたが、振り返るとあっという間でした。小さな出来事は日々あり、先日はついに入院までしましたが、おかげ様で今日までまあまあ無事に過ごせました。
 いろいろな人・いろいろなものに感謝したい気持ちです。過ぎた1年の何倍何十倍も長い年月、日々は重なりますが、今日は立ち止まって、今日まで支えてくれたたくさんの人やものに「ありがとうございます」と言いたいと思います。そして妻と娘にも。「ドレミちゃん、お誕生日おめでとう」