ニールの怒り 僕の思い

 beatle001さんのブログに、ニール・ヤングの「Living With War」が取り上げられていました(こちらにあります)。それに触発されて、僕も購入しました。
 タイトル、そして最近のニールの発言(もっと若い世代がこうした歌を唄うのを待っていたんだけれど、まだ自分たちがやらねばならない)など、この作品は、その生まれた経緯も内容も、ある意味とてもわかりやすいものです。
 僕は最初レコ屋で見かけたジャケットに、以前パール・ジャムがツアーの全公演をライヴ盤として出した時のような「一刻も早く出すために、体裁は最低限にしました」という感じを持ったのですが、実際に開封してみると、印刷はしっかりしているし、歌詞のレイアウトもクレジットもきちんとしていて驚いてしまいました(ブックレットは段ボールというか、再生紙みたいに見えますが、実際は印刷された「模様」です)。むしろ虚飾を廃したそのデザイン全体が、この作品を出す事になった状況の厳しさと、ニールの真剣さを的確に表しているようです。繰り返しますが、これは「あえてやった」デザインです。
 内容は、9.11以後の、いやイラク戦争〜「Vote For Change」〜ブッシュ再選という流れを受けて作られたもので、すべてプロテスト・ソングといっていいでしょう。歌詞はニールにしては非常に分かりやすく、深読みや解釈不要の「アメリカという国家の今日(こんにち)に対する『ノー』」に満ちています。その重要な部分はbeatleさんがブログに訳出されているのでここでは省きますが、抽象的な言い回しがほとんどない(僕でも大体理解できるほど明瞭です)のにもかかわらず詩として完成されているのは、やはりニールの底知れない才能のなせる技でしょう。
 音については、パッケージから予想される「元祖グランジ」といえるアレンジ、音作りですが、「Weld」やパール・ジャムとの共演盤ほどぐしゃくしゃしたものではなく、表面的な荒々しさとは裏腹に、丁寧な仕上げだなと感じました(すごく短期間で制作したらしいので、僕の印象はあくまで個人的なものですが、入ってくる情報に比べて、必ずしもラフに仕上げたんではない、程度に読んでください)。
 さて、こうした作品を前にして、僕は何を述べるべきでしょうか。音楽と思想は違うと断じて、こうした作品を批判する人もいます。また「歌がどの程度社会を変えられるのか知らない。それでも、心に積もり積もっている政治に対する不満を誰かアーチストが代弁してくれたら、たとえ一瞬でも気持ちがすっきりするもの。その点においてアメリカ人はずっと日本人よりも恵まれている」という、結局は態度を明確にしない批評もあります(引用したのは、1980年代に発表された、ニールではないけれど有名なアーチストが発表したメッセージ性の強いレコードに対する、ある日本の評論家が書いたものです)。詩を読まずとも音楽が素晴らしいならそれを肯定する、という立場もあります。
 僕にとってこのアルバムは、「僕の怒りはこれだ。君は同じように怒るか」と問われているような気持ちで聴きました。あの国で、大変なリスクを背負ってこの作品を発表した彼とは違っても、僕は僕なりにこの社会にコミットしています。彼の怒りをどう感じるのかということは、すなわち「自分は何に怒り、何を受け入れるのか」を自らに問う事です。
 僕は正直、ここで「これこれと考えます」と表明は出来ないです。なにかのしがらみがあるからではありません。ひとつには「まだ考えがまとまらない」ということ、もうひとつは「自分の身の回りの問題として考えなければ、答える意味がない」と感じるからです。ここで即席のアメリカ政治状況論でもぶって、この作品のこの部分はいい、この部分は悪い、全体では同意します、なんて書いても、まったく無意味でしょう。このアルバムは、音だけ聴いていても、ニールのファンなら楽しめるものです。でも、その本質は「怒りの表明・受け手の気持ちを問う」というものです。それならば僕も、じっと考えなければなりません。こんなに書いていてなんですが、今夜は態度保留で。ただ一言、ニールの「怒り」を、僕は戸惑いながらも共感とともに聴きました。それが30年ロックを聴いてきた僕にとって、今夜とれる一番正直な態度です。この稿は未完です。改めて書きたいと思います。
 追記:それにしても、昨年のブッシュ再選以後、アメリカのアーチストはこぞって力の入った名作を出していますね。今年の後半にでも、総括してみたいと思います。