8月6日に思う

shiropp2006-08-06

 何年か前に何回目かのサイパン旅行に行った時、たまには少し別の島にも行ってみようと、お隣のテニアン島にも足を伸ばしました。サイパン島もそうですが、テニアンも太平洋戦争時代の激戦地で、そうした遺物もあります。
 その日、僕たち夫婦は、オプションで申し込んでいた島内観光ツアーに参加しました。島はいたってのどかなところで、日本人女性のガイドさんのお話も面白く、基本的には楽しいものでした。戦争時代に米軍が基地にしていたという場所は、今はもう何もない(コンクリート敷きっぱなしのような)平らな広場で、戦争どころか、人がいた気配さえありませんでした。
 そこに来た時にガイドさんが「ここテニアンから広島・長崎に向かって、原子爆弾を積んだB29が飛び立ちました。これから行くところにその碑があります」と説明してくれました。そこは、原子爆弾の大きさをぎりぎりまで極秘にしていたために、B29に積むための空間がなく、それをとるために床に開けたという四角い穴のあったところです。今はその穴のところには木が植わっていて、石に刻んだ碑と、鳥居のような形の「ATOMIC BOMB PIT NO.1」と書かれた看板(?)がありました。
 気温がとても高い時(正午近くでした)で、ガイドさんも「暑いのでクルマ中から見学でもいいですよ」と言いましたが、僕は外に出てその碑文を眺めました。上にも書きましたが、今はもう戦争を感じさせるものは何もなく、僕が見た碑も南国の光と風の中に静かに立っています。僕はそこで少しの間、ここに格納庫があり、人に満ちていた時はどんなであったろうかと想像してみました。その時思い描いたものが当たっているかどうかはどうでもいいです。ただ僕は、ここから飛び立った飛行機が何を日本に運んだか、それは良く知っています。それだけは、強く心に刻もうと思いました。
 今日、広島の原爆から61年が経ちました。あの平和記念式典は、ある意味で「おなじみの風景」になってしまいました(いやな表現ですみません)。今年は、その「おなじみの風景」を、そうではないようにしたいと思います。61年前の今日、どんなことがあり、それにはどんな意味があったか、静かに考えたいと思います。「青空文庫」原民喜の「夏の花」がありました。ずいぶん久しぶりですが、再読することにしましょう。もう一度、何が大切で何を思うべきかを考えようと思います。