ディスク・レヴュー「Modern Times」ボブ・ディラン

 多面性。ボブ・ディランを前にして、僕のような素人文筆家は途方にくれるばかりです。僕はわりとディランの音楽には触れている方だと思っていますが、それでもこの人のたくさんの「顔」には驚いてしまいます。活動歴の長さだけでは説明がつきません。プロテストソング、フォークロック、隠者、聖者、地下室にザ・バンド、轟く稲妻のレヴュー、吟遊詩人、キリスト教ユダヤ教、ネヴァー・エンディング・ツアー、そしてノーベル賞候補者。冷静に考えたらこれほど振幅のある活動が出来た人は、現代の大衆音楽家には1人もいません。これだけでも後世に名が残るでしょう。 
 しかしそのためにかえって、ディランを聴く人それぞれに「自分の中の正しいディラン」ができてしまい、語る時に、それを基準にしてしまうのです。「自分にとってベストのディランは○○、そこから測ると今回はこれこれの理由でいい(悪い)」という感じで終わってしまいます。で、それを避けようとすると、ボブ・ディランという名前の迷宮の中に放り込まれてしまい、アルバム1枚語るためにデビューから話し始めなければならないということになってしまいます。本当に、途方にくれてしまいますね。
 今回のアルバム、「Time Out Of Mind」「Love Ond Theft」との三部作というふうにも捉えられているようですが、僕はそこは本質ではないと感じました。音楽のフォーマットでいえば、今回の作品も含めて、汎アメリカン・ミュージックという把握が出来るかと思いますが、どうもそれが目的でもないようです。
 少なくとも僕は、前作・前々作ほどディランは「唄う事を楽しんではいない」と思いました。音楽自体、演奏自体はそれほど深刻なものではなく、むしろバラエティに富んだもので、楽しく聴けるものでもあります(ディランにしては珍しく)。ロックンロールもろ、というものもあり、ハワイアンのようなものもあります(全曲ディランの作詞作曲ということになってますが、大丈夫なのかしら?)。ディランのボーカルもわりと丁寧で、その意味でも悪くないです。なのにどこか引っかかる。それは僕が詞を読んだからかもしれません(アルバムには「アーチストの意向により」という但し書きつきで、オリジナルの英詞がありませんが、中川五郎氏によるすばらしい訳詞が掲載されています)。今回のディランは、どこかに「怒り」を秘めたような言葉を連ねています。この人らしい饒舌さで。達観や枯淡ではなく、なにかにいらだち、なにかを擁護しようとしていると感じます。
 そういう意味で、僕はこのアルバムには、どこか荒涼とした印象を持っています。ただ、それは悪いという意味ではありません。例えば「ジョンの魂」が、例えば「四重人格」が持っているような荒涼とした感触。優れたロックの作品が持っている、あの肌触り。そんなものを今感じています。
 正直に書くと、まだまだ聴き込み不足なのかもしれません。もともとディランの作品は、リアルタイムでは価値がわからず、ずっと後になって評価されるものも少なくありません。今回もそうなのかも。ディランにつきあうということは、10年単位で作品に向かうことを言うのかも知れません。

 追記:僕は今のところ「Workingman's Blues #2」「Ain't Talki'」が印象に残っています。どちらも長尺の曲で、詞も素晴らしいです。「Workingman's Blues #2」はメロディも唄も素晴らしい名曲です。