現代音楽ネタのはずが最後にはいつもの内容(笑)

 今日、本を1冊購入しました。「20世紀音楽 クラシックの運命」(宮下誠著 光文社新書)という本で、タイトルどおり、20世紀に作曲されたいわゆる「クラシック音楽」に属する作品を俯瞰的に紹介した本です。まだ冒頭の方しか読んでいないので内容はこれからですが、同時代の音楽に関してこうして総覧できる(気軽な)書籍はほぼ皆無でしたので、それなりに期待しています。まあ正直に言ってしまえば、20世紀音楽と銘打っておきながら、大衆音楽も(いわゆる)ワールドミュージックも登場しないのは「相変わらずだなあ」とは思いますが、そこはそれ、こっちとしては余裕を持って接しましょうかね(笑)。まじめな話、著者(西洋美術史などが専門の大学教授です)は本書の中で「20世紀音楽」の定義をクラシック畑に限定したことについてきちんと説明しておられるので、本の趣旨からいってもこれでいいと思います。それにほら、クラシックとかジャズとかの本で、知ったかぶりのロック論をぶたれたり、あちらの尺度で勝手に批評批判されるのにはもう辟易していましたからね、この方がよほどすっきりしています。というわけで、明日からこの本を持ち歩きます。新書にしては厚いので読み応えもありそうですし。
 で、明日のために(笑)、iPodに詰め込んでます、20世紀音楽(笑)。読みながら聴こうという、深読み不要の理由です。とはいってもそんなには持っていないジャンルなのでわずかだけれど。ライヒやケージのもの、昔買った現代音楽のサンプラーCD(リゲティとかメシアンとかベリオとかの作品が1曲ずつ入っているお試し盤)、武満やクセナキス、イーノ、黛敏郎、そしてもちろん伊福部昭先生など、棚から発見されたものを片っ端からリッピングしています。そういえば、現代の音楽をこういうふうに総覧的に聴くのははじめてだな。どんなふうに聴こえてくるのか興味津々です。
 今聴いているのは高橋アキ「ハイパー・ビートルズ」。1990年に発表されたもので、高橋アキのピアノによるビートルズ集、と聞くと企画モノのようですが、実際には当代一流の作曲家が編曲したもので、質はとても高いです(若干差はありますが)。なにしろ現役の作曲家による編曲なのでモチーフはビートルズですが解釈は大変現代的で知的であり(けっこう気を使って書いてます)、誰にでもすぐに楽しめるものではありませんが(けっこう気を以下略)、僕にとってはそれなりに好きな作品です。解説とかを読むとやっぱりちょっと高踏的な部分があってむずがゆいですが、高橋アキご本人の文章はとても率直で(読んでいると企画がアキさんご本人から出たのではないこともわかっちゃってああ楽しい)、まあ、余裕を持って楽しめます。
 編曲家の中には僕の好きな羽田健太郎氏もいて、「Something」を(このアルバムでは例外的に)メロディアスに編曲しています。一番印象的なのはなんといってもジョン・ケージで、編曲タイトルも「The Beatles 1962-1970」(!)。合計27の曲のを断片にして多重録音するというものチャンスオペレーションによって不確定要素を決めていくという「いかにもケージ」なもので、先入観なしに聴いても一番心に残ります。やっぱりあの人はただものじゃなかった。
 正直に書いちゃうと、好きではありますが、疲れるんですよね現代音楽ずっと聴いていると。明日から読書のお供で聴く機会が増えそうな20世紀音楽に疲れたら、この「ビートルズ」に慰めてもらって、また聴き続けていきましょうか。

追記
アルバムのラストにフレデリック・ジェフスキーという人が編曲した「Short Fantasy on "Give Peace A Chance"」という作品があります。ジェフスキーは「つねに民衆の側に立つ『政治的作曲家』」(高橋アキのライナーより)なんだそうで、アルバム制作中(1989年ごろ)に東欧で盛んになってきた政治的解放運動で多く歌われていたこの曲を取り上げた、とのこと。それはそれでとてもいい動機だし、取り上げた意味もすぐれて同時代的だとは思うんですが、ビートルズファンとしては言いたい。「『平和を我等に』はジョンのソロ作品です。ビートルズじゃあないですよ!」

ベスト・オブ・ハイパー・ミュージック・フロム・レノン&マッカートニー

ベスト・オブ・ハイパー・ミュージック・フロム・レノン&マッカートニー