週末の夜 60年代エルヴィスでまったりと

 金曜の夜です。今週はけっこう忙しかった。育児中なのを理由に早めに帰らせてもらっている関係、あんまり長時間の残業はできず、その分昼間の仕事密度が高くなって、まあ、要するに要領悪いだけなんですけどね(笑)。昨日今日はさすがにそれではすまなくなって、ちょっと居残りました。昨日は帰宅したらもう家族は寝ていたんですが、今日は辛くもドレミのお風呂に間に合いました。ドレミも最近は片言が増えてきて、なんとなく会話らしきものが成立してきました。とはいっても「ドレミ、パパとお風呂はいる?」「イヤ」とか、そういうのですが(笑)。
 ふと思い立って、エルヴィス・プレスリーを数日聴いています。うちには50年代と60年代それぞれのボックスという便利なものがあるので、そのあたりをiPodに詰め込んで(その他ライヴも)通勤の時間に聴いています。今まで何度かエルヴィスはトライして、特に深みにはまることなく今日まで来ているんですが、いつ聴いても、その声の魅力はさすがです。
 いつも思うんですが、あの人の声には、「自意識」が感じられないですね。「間抜けだ」とかいう意味ではないです。僕たちが普段聴くロックは、よくも悪くも送り手の「思い」や「言葉」があります。そのミュージシャンのパーソナリティから発露する「自意識」こそが存在価値とさえ言えるかも知れません。
 それがエルヴィスにはあんまり感じられないんです。60年代のボックスや70年代のライヴ盤などは、いろいろな作者の作品を取り上げていますし(「Something」まで朗々と唄っていました)、ショーの中心としての存在感もすごいですが、いざ唄い出すと、「自己表現」とか「自意識」のようなものはまったく感じられず、ただ純粋に歌を歌っているというように聴こえます。僕のようにビートルズ以降のロックに深くのめり込んでいる身としては、そこがとても不思議で、ある意味ちょっとこわいです。時代的な評価や思想的な整合性などとは無縁の世界で、その意味では「好き嫌い」の分かれる人かも知れませんが、やっぱりワン・アンド・オンリーの人なんでしょうね。
 ところで、これもふと思い立って調べてみたんですけど、エルヴィスの評伝や批評本の類って、ほとんど出ていないんですね。ちょっとびっくりです。ビートルズなんて未だに毎年数冊出ているっていうのに。そのへん、どうなっているんでしょうねえ?やっぱりあの、パーカー大佐が絡んでいて自由にできないんでしょうか?こっちも不思議です。
 週末の天気はどうなっているんでしょうか?天気予報見損なっちゃった。南関東はこのところ寒かったから、少しでも暖かくなってほしいなあ。明日も部屋の片付けだからなあ(笑)。それではみなさま、どうぞよい週末を。おやすみなさい。

エルヴィス・イン・ハワイ

エルヴィス・イン・ハワイ