A面が終わり、B面が始まる事の無限

 月曜日に「SMAP×SMAP」観てから、行き帰りにスティービーを聴いていました。ええ、ええ、単純ですから(笑)。別にしばらく聴いていなかったわけではないんですが、いつ聴いてもいいです。バラードだから感動的だとかそういうのとも違い、どの曲も、やっぱり心に響きます。もう2年くらい前ですが、けっこう残酷な描写の多い小説を読んでいて気分が落ち込んだとき、偶然テレビから「You Are The Sunshine Of My Life」が流れてきて、本当に救われた事があります。それくらいあの人の音楽には力があります。
 先日来iPodに入れているライヴ盤、「Sir Duke」が終わった後、間髪を入れずに「I Wish」が始まります。あの名盤と同じ曲順で、聴いている方も盛り上がります。昨日もそんな感じで盛り上がっていたんですが、ふと頭に浮かんが事があります「この2曲がアナログ盤の盤面の境目だったことを、今のファンは知っているんだろうか?」。
 CDが登場してから正確にどの程度か知らないんですが、本格的にCDリリースが優先されてきたのは20年くらい前だったと記憶しています。ということは、今の若い音楽ファンにとっては、初めての音楽体験はもうCDだったということになるでしょう。僕くらいの年代では当たり前ですが、アナログ盤には盤面があり、アルバムは大きく2つの表情を持っているということ。それはもう(とっくに)全音楽ファン共通のことではなくなっているんですね。
 アナログはあのジャケットの大きさやデザイン、紙質や手触りなど、CDにはないいい面がたくさんありますね。僕は殊更「アナログ礼賛」するわけではないですが、自分でもたくさん持っているし、ほめ出したらきりがないです(笑)。僕は国内盤の帯もけっこう保存しているので(わざわざ外して袋に入れてます)、今見返したら面白いですね。そしてあの、ひとつに面が終わり、次の面に行くというあの作業。大げさにいえば、ひとつのアルバムには2つの「作品」があるのかも知れません。上の「Key Of life」で言えば、「Sir Duke」の、あのしつこいくらいにリフレインが続いた後に突然終わって静かになり、盤をひっくり返してしばらくすると「I Wish」のイントロが聴こえてくるまでの短い時間で、僕はそこまで聴いての満足感と、次に始まるものへの期待感を両方感じていたのかもしれません。
 そして今日、僕はひとつ思い立ち、自宅に帰ってきてから、iTunesのプレイリストを2つ作りました。ひとつは「Abbey Road A面」もうひとつは「同B面」。今のCDでは「I Want You」が終わった後「Here Comes The Sun」がすぐに始まります。僕もいつのまにかそれが当たり前になってしまいましたが、ちょっと実験しようと思ったんです。
 で、再生。部屋には「Come Together」が流れます。曲は進み、「I Want You」へ。熱病に罹ったような演奏が進み、進み、そして、、、突然プッツリと静寂に。
 「これだ」
 僕はそう思いました。部屋は静かになり、僕はまるで取り残されたように部屋にいます。「これだ」あのころ、「Abbey Road」を聴くたびに感じていた感触が甦ってきました。僕が動かない限りこのビートルズ的静寂は破られない、そして盤を返すとそこには、先ほどとは全く違うジョージの優しいギターの音色があります。アナログ盤しかなかったころ、僕は毎日こんな冒険をしていたんだ。
 今日実際には、僕はB面は再生せず、「I Want You」後の静けさを十分楽しみました。盤面の間の静けさや、面を返して再生するという行為は、おおげさに言えば、自分もレコードの演奏に参加するような感じで、それが僕にとって、より深く音楽を愛する手段になっていたのかもしれません。僕の家にはアナログプレイヤーもあるんですが、最近はさっぱり使っていませんでした。でも、また使ってみようかな。

Abbey Road

Abbey Road