またもや勘違いの買い物

 今、竹内浩三の「戦死やあわれ」(小林察編 岩波現代文庫)を読んでいます。Beatle001さんのブログでその本を知り、先日購入したものですが、ゆっくり読んでいます。他の本との併読であるのも理由ですが、この本がひとつの流れを持った連作あるいは長編などではなく、基本的には遺稿集という趣で、詩、手紙、日記など、短文の集まりだというのももうひとつの理由で、ひとつ読んでは考え、ひとつ読んでは頷き、ひとつ読んではクスリと笑うというふうにしています。タイトルからもわかるとおり、著者は芸術家(映画監督)を志しながら時代の波に飲まれ、昭和20年、23歳という若さで戦死しています。Beatleさんのブログによると、あの時代にあって正気と純粋さを最後まで失わず、それを出征後も書き続けたということです。僕はまだ最初の方しか読んでいませんが、そこには飾らない、素朴で崇高な文章が並んでいます(20歳前後で、こんなふうに自己表現できるなんて信じられない)。
 竹内はまた音楽も好きだったらしく、時折そのこともでてきます。目次に「チャイコフスキーのトリオ」とか「メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルト」「モオツアルトのシンホニイ四〇番」などとあるので、てっきりレコードかコンサートの批評文かと思ったら、どれも詩でした。どれも、とてもいいです。これから読む後半で(というか、まだ半分もいっていない)どのような世界があるのか楽しみです。
 で、ここまで真面目に書いて、ここからいつものようになりますが、上にかいたクラシックを題材にした詩に「トスカニーニエロイカ」というのがあります。
 たまたま、今日仕事で外出し、休憩時間に近くのレコ屋に寄ったとき、クラシックの中古CDの中に「トスカニーニ指揮NBC響のベートーヴェン交響曲第3番」があったんです。おお、これはまさしく「トスカニーニエロイカ」!とばかりにレジに運び(盤質Aで525円という、マエストロに申し訳ないような家計にやさしい価格でした)、今部屋に流しています。当初これは「竹内が聴いたのと同じ演奏を聴きながらこれを書いています」という感じでまとめるつもりだったんですが、、、、。
 聴きながらよく考えてみたら、今日買った盤の録音は1953年12月6日。戦後です。これは考えるまでもなく、竹内が聴いたものとは別物です。ネットで検索してみたら、1938年にNBCで録音していますので、竹内が聴いたのはそれなのかも知れませんね。いずれにしても僕の早とちりによる「勘違いの買い物」でした。
 でもね、負け惜しみじゃないですけど、名演奏である事自体は変わりませんから、気分だけ「同じもの」ということで(曲も指揮者もオケも同じなんだからいいよね)、読書のお供に聴く事にします。
こうした名演奏を、優れた本を読みながら聴き続けられる平和がいつまでも続きますように。

戦死やあわれ (岩波現代文庫)

戦死やあわれ (岩波現代文庫)