紙ジャケ再発されたそうですね

 「ゴミ屋敷」の片付けも終盤にさしかかり(まだやってたのかよ!?という突っ込みは法律により禁止されています)、最近は帰宅してからもぼそぼそやっています。正直、自分がこんなの物を持っていたのかと驚くほどで、長年耐えて来てくれた家族にはちょっと申し訳なく思っています、などと書きながら、今日も勝手に「喜劇新思想体系」を捨てようとした親と軽く口ゲンカするなど、言行不一致ですが(笑)。
 今日はそんな片付けのなかで久しぶりに再読した本のことを(そんなことしてるから捗らないんだよ!という突っ込みは法律により禁止されています)。
 「イアン・ギラン自伝 紫の叫び」(佐武加寿子訳 音楽之友社)は、タイトルそのまんま、ディープ・パープルのボーカリストである(現在もなお、ですね)イアン・ギランが自身の半生を綴ったものです。日本版の刊行は1994年ですが、内容は1993年の、イアンの(2度目の)パープル復帰のあたりまでです。内容はというと、彼の生い立ちから始まって音楽活動の開始、パープルへの参加と脱退、実業での失敗とミュージシャンとしての復帰と浮き沈み、というところが、基本的に時系列にそって書かれています。
 これが実にイアンらしいというか、ものすごく正直な内容なんです。普通ミュージシャンなら、もう少し自分の業績を美化するものだと思うんですが、この本では例えば第2期パープルについても、ものすごい業績を紹介したというより(もちろんそういう部分も多いですが)、内部のいざこざやマネージメントとの確執、そしてリッチーとの軋轢など、実に生々しい感じです。スーパースターに付き物のご乱行についてもたくさん記述されていますが、イアンらしいというか、「女の子とどうこう」というものよりも「酔っぱらって全裸」というものが多かったのがおかしかったです。
 僕は実は、自伝を持っているくらいですからイアンのファンで、日本では評価の低いイアンのソロ時代(イアン・ギラン・バンドやギラン)の作品も聴いています。この本では、その時代についても書いていて、2期パープルほどのボリュームがありませんが、とても生き生きと綴られています。この人、あんまり経済観念がないのかマネージメントに問題があるのか、ずっと財政的な問題に悩まされているんですが、そのへんについても、正直すぎるくらい書かれていて、そのへんもこの人の人柄をよく表しています(そういう問題に常に悩まされるという意味での管理能力のなさという意味でもこの人らしいし、それをそのまんま悪びれもせず書いてしまうという意味でもこの人らしい)。
 今回は久しぶりの再読だったので、ざっと読んだだけなのですが、それでも面白いエピソードがありました。フェイセズと一緒にツアーしたときの、彼ら(ロッドを始めとしたメンバー達)の「お楽しみ」の凄まじさ、パープル再結成直前に、「エビータ」への出演を、ティム・ライスから直接要請され、断ったという話し(イアンとティムは、オリジナル「Jesus Christ Superster」で最初に共演しています。これはティムの出世作として有名ですね)、80年頃、突然リッチーがイアンの自宅を訪ね「レインボウに加入しないか」と打診して来たことなど。どのエピソードも、イアンの主観を交えて語られていますが、上記のように、この人の人柄そのまんま、なにもかもあけすけに語っているので、少しもじめじめした感じがせず、変な表現ですが清々しい読後感です。パープルファンには(特に再結成後)あんまり良く言われないイアンですが、恨み言や金絡み、人間関係のゴタゴタがたくさん書かれたこの本が、それでも楽しく読めるのは、言葉の端々に垣間見えるそういうイアンの人柄のなせる業なんだと思います。
 最後にビートルズファンに情報。この本によると、再結成パープルのオーストラリア公演(シドニー公演)に、なんとあのジョージ・ハリスンが飛び入り出演し、パープルと「ルシール」(リトル・リチャード作)を演奏したということです。ジョージはジョン・ロードイアン・ペイスの友人なんだそうです。この本にはイアンとジョージが並んで写っている写真も掲載されています。この写真では、シャワーを浴びている最中だったというイアンはなんと何も着ておらず、股間に靴下をはいて(笑)満面の笑みでポーズをとっており、ジョージはその隣で、イアンの股間を指差して笑っています。このジョージの表情が、彼のパブリックイメージの「ちょっとお堅い」印象のものではなく、本当にリラックスした楽しそうな笑顔で、僕はこの写真を観ているだけで幸せになってきます。イアン・ギランって、つまるところそういう雰囲気を醸し出せる人なんではないかな?と、この本を読むと思えます。

Glory Road

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