(今頃)ボン・ジョヴィを聴き直す

 ボン・ジョヴィが来日するそうです。僕は「洋楽系日記」なんてタイトルのブログを書いていて、洋楽にはそれなりに造詣があるなんて面をしていますが、ボン・ジョヴィを初めとした、80年代以後のメタル関係にはまったく暗く、ボン・ジョヴィもベストものを持っている程度でした。なんですが、このブログにコメントをくださる方の中に相当数のファンがいらっしゃる様子で、僕も今頃になって聴き直しています(今では数枚持っています)。今日はそのことと、数少ないボン・ジョヴィにまつわる思い出話を。
 キャリアの長いアーチストを聴き始めるときに困るのが、何から聴きだしたらいいかということです。ボン・ジョヴィに関してもそれで迷ってしまい、しばらく手を出せなかったんですが、ふと立ち寄ったごく普通のCD屋にあった輸入盤バーゲンコーナーに発見して購入したのがライヴ盤「One Wild Night(1985-2001)」。
 僕はグループの歴史に詳しくないので知らなかったんですが、これはどうもボン・ジョヴィ初のライヴ盤だったらしく、代表的な曲は網羅されているようです。なにしろ僕のような人間が聴いても知っているものばかりでした。僕は常々このグループは、重厚でどこか翳りのあるアレンジ、ちょっとウエットなメロディ、歌い上げるボーカルという特徴から「アメリカ演歌ロック」というあだ名をつけていたんですが(ファンの皆さんすみません)、基本的にはそのイメージは裏切られませんでした。ただ、予想外だったのは、僕が考える以上に演奏が的確で、緻密な演奏を聴かせるかと思えばギター1本、ソロボーカルのみで聴衆の心を掴むようなところもあり、やっぱりプロだなあと(当たり前ですが)感心しました。
 そしてなにより僕が「この作品を手に取ったことを神に感謝したい」と思っているのが、このライヴ盤では、彼らの「ロックに対する真剣な思い」が、僕にもわかりやすい形で聴かれるからです。2曲目「Livin’On A Prayer」のエンディングはジミ・ヘンドリックスの「Little Wing」のフレーズが登場します。しかもそれはジミのオリジナルではなく、デレク・アンド・ドミノスが演奏したバージョンの方です。これでビックリしていたら、僕の大好きな「Someday I’ll Be Saturday Night」(ここでの演奏はまるでスプリングスティーンです)に続いてニール・ヤングの「Rocking In The Free World」!。ニールのオリジナルでは沢山の意味が込められているこの曲ですが、ボン・ジョヴィが演奏すると、オリジナル以上に「真っ直ぐ」な感じがします。曲の意味を知らずに演奏して収録するわけないですから、彼らの真剣さがよく伝わってきます。アルバムの後半には、なんとボブ・ゲルドフがゲストとして登場して、「I Don’t Like Mondays」を歌っています(ちゃんとオリジナルと同じアレンジで)。
 アルバム全体ではヒット曲も多く演奏していて、十分ファンの期待に応えるような作りになっていますが、上に書いたような部分では、僕のような人間にアピールするような「ロック全体の中での自分たち」に自覚的な姿勢を打ち出しています。グランジ以前のメタルというと、どんなに人気があってもいわゆる「まっとうなロック批評シーン」では軽く扱われることが多いんですが(僕のような人間がそうですね、反省しています)、どっこい、こういう大衆的な人気の高いロックバンドにも、そうした姿勢はしゃんとあったんですね。やっぱり知らず知らずのうちに偏見を持っていたんだと思います。もしも僕が最初に手にしたものがこのライヴ以外だったとしたら、こんなに早くこうした思いに至らなかったかも知れません。そのことを神様に感謝したいです。本当に、どれだけ聴いても新たな発見はあるんですね。

 今から約10年前、職場にいた僕のところに1本の電話がありました。それは僕の友人で、ある地方自治体に勤めている男からでした。受話器をとると彼は開口一番こう言いました「明日までにトニー・ボン・ジョヴィという人のことと、パワー・ステーション・スタジオについて調べてもらいたいんだけど」。
 はあ?仕事中だったのですぐに頭が切り替わらずまごまごしている僕にその友人が説明してくれたのは、大体こういうことです。その当時友人はその自治体で自治体のプロモーションやイベントものの統括をしており、その関係で地域のホール関係者やプロモーターなどと会合を持っていたんですが、電話の翌日に突然トニー・ボン・ジョヴィと会うことになってしまった、というか、翌日会う予定のプロモーターが「トニーが日本に来ているので、明日は一緒に行く」と伝えてきたとのこと。困ったのはその友人で、なにしろ地方自治体ってお役所なので、あんまりロックに詳しい人もいない(笑)、その友人もあんまり知らない、そこで僕のところにお鉢が回ってきたと(笑)いうことだったんです。「頼むよshirop、どんなことでもいいからさ」という友人の頼みを断り切れずに一応承諾してから、僕は途方に暮れてしまいました。パワー・ステーション・スタジオの方は、手持ちの知識でなんとかなりそうだし、そのスタジオで録音されたレコードも何枚かうちにある、でもトニーの方は?そもそもトニーって誰?ファミリーネームから察するにボン・ジョヴィ関係者だよね?ジョンなら知ってるけど、トニーなんてメンバーいたっけ?10年前とはいっても、当時はまだ今のような「ネットで検索してなんでもわかる」時代ではありません。困った、本当に困った、どうしよう?
 そのとき、ふと「妻の職場にメタルファンの女の子がいたはずだ」と頭に浮かびました。一度だけお会いしたときに「shiropさんロック聴かれるんですよね。私もメタルとか聴くんです」と言われたことがあったんです。藁にもすがる思いで妻の職場に電話を入れてその女性に替わってもらい、事情を説明するとあっさり「トニーはジョンの従兄弟で、今パワー・ステーション・スタジオのオーナーなんですよ」と答えが返ってきました。無名時代のジョンもパワー・ステーション・スタジオで働いていたことがあるとか。なるほど、あっという間にトニーのことも、パワー・ステーション・スタジオとの関係もわかりました。これだけわかればもう大丈夫。あとはうちにあったボン・ジョヴィのベスト盤と「パワー・ステーション」(デュラン・ディランとロバート・パーマーが競演したユニット)のCDなどを用意して、その日の夜に彼の家に行って説明しました。
 翌日夜、その友人が僕の家に「おかげでなんとか話しが合わせられたよ」と礼を言いに来てくれました。そのときに、前日渡したCDを返されたんですが、ボン・ジョヴィのベストの解説書には、トニーのサインがありました。ちゃんと僕の名前入りで。友人が気を利かせて頼んでくれたんです。上に書いたとおり、当時は(厳密には今も、ですが)僕はボン・ジョヴィにものすごい思い入れがあったわけではありませんでしたが、「このCDの持ち主によろしく伝えてくれ」という伝言とともに渡されたCDは、今も僕の手元に大切に保管してあります。今、これを書きながらそのCDを出してきたら、トニーの名刺のコピー(友人がくれたんです)もはさんでありました。名刺にある名前の綴りを見ると、「ボン・ジョヴィ」の「ジョヴィ」にあたる部分は、グループ名とは違うんですね(グループでは「Jovi」ですが、トニーの名刺では「BONGIOVI」となっています)。
僕は熱心がファンではないので、そのときはそれなりの喜びしかなかったんですが、ボン・ジョヴィの音楽を聴き直している今頃になって、じわじわうれしいです(笑)。

 今度の来日公演、行こうかな、、。

クロス・ロード/ザ・ベスト・オブ BON JOVI

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