バイロイト第九3種を聴き比べる(素人ですが)

 バイロイトの第九。
 ジョージ・マーティンが誰だかわからないロックファンがいないように、「Somethin’ Else」の実質的リーダーが誰だかわからないジャズファンがいないように、1951年バイロイトの第九の指揮者が誰だかわからないクラシックファンもいない、そういうレベルの名盤が、今回のお題である「第九聴き比べ」の主人公です。これは、1951年、第二次世界大戦後中断していたバイロイト音楽祭が再開された初日、劇場のオーケストラと合唱団により演奏されたベートーヴェン交響曲第九番の実況録音盤。指揮をしたのは20世紀最大の指揮者の1人であるヴィルヘルム・フルトヴェングラー。クラシックファンでない方でも名前に聞き覚えがあるかと思います。この録音は、マエストロの死の直後に発表され、その後50年以上に渡って「最高の第九」という不動の評価をされているものです(そんなことないぞ、というクラシックファンが多いという意味でも、常に話題の中心であることは確かでしょう)。録音は古くてAMラジオみたいな音質で、しかも実際に聴くとわかりますが、特に最後の第四楽章は演奏が荒く、最後などオーケストラがぴたっと揃わずグシャグシャになって突っ走っていきますが、そんなところも含めてものすごい気迫の演奏で、好き嫌いは別にしてものすごく印象的な演奏です。
 今まではEMIから1種類のみ出ていたこの演奏ですが、数年前に著作隣接権が切れたことで、いくつかのレーベルがそれぞれ音質アップを図ったとの謳い文句で再発をしています。今年に入ってから、オタケンレコードが「予備マスター」(つまり音源としてはEMI盤と同じで、当時のまま保存されていたので音の劣化がない)から制作したというCDが発表されました。ライナーには「腰を抜かさんばかりのすぐれた音質」「既出盤のそれとは全く別次元のもの」という言葉が並んでいます。
 そして今度は秋になって、別音源による「バイロイトの第九」が出てきました。これは当日ラジオによる中継のために会場にいたバイエルン放送局が録音していたというもので、つまり機材もテープも、上記2つのものとはまったく違う(けれど録音された演奏は「公式には」同じ)という、隠し球みたいな(笑)ものです。秋くらいに大きな話題になり、そのときは特別な方法でしか入手できないものだったんですが、12月に入ってついに公式に発表されました。今ではたいがいどこのクラシック売り場でも買えるようになっています。そこで今回、EMIのものも含めて3枚揃えたので、聴き比べてみることにしたんです。便宜上、50年間流通していたEMI盤をA、オタケン盤をB、バイエルン放送局盤をCとして書いていきます。あくまで印象記の域を出ないかと思いますが、そこはそれ、「本業」はロックなのでご容赦ください(笑)。失礼のないようには気をつけます。

 全体の印象ですが、「高音が曇っていて低音が大きく、エコーが目立つ」A、「高音が抜けた感じで明るい音質になり(低音はAと同じく大きい)、エコーがあまりない(デッドではないよ)B」「低音のうるささがなくて高音が響くけれど、そのせいでちょっと迫力不足なところもあるC」という感じです。大ざっぱな印象ですので、もちろんそうでない部分もありますが。Aが一番「古い録音」という感じであり、後発の2種はさすがにそれよりは新しい感じ=マスターがくたびれていない様子であることは間違いないです。ただ、上記のBライナーにあるほどの優れたものかというとちょっと違います。なにより僕の予想と違ったのは、B、Cとも「意外にノイズが多い」というところでした。特に第三楽章(僕が一番好きな楽章です。みんなここで寝るらしいけど)では出だしのヒスノイズがきつく、聴く前の期待とはずれてしまいました。不思議なことにこのヒスノイズ、盤を通してずっと続くというものでもなく、ある箇所はこの盤、またある箇所は別の盤という具合に、低くなったり高くなったりします。そういう部分に引っかかると、今回出た2種(特に鳴り物入りだったC)にはがっかりしてしまうでしょう。
 Aについて「エコーが目立つ」と書きましたが、これは以前からこの盤について言われていたことで、つまり「編集により残響が加えられた」のではないかというところです。これについてはB、Cともに自然な感じで、今回よくなった点だと思います。第四楽章のゲネラルパウゼのところでは、Aがちょっとわざとらしい残響が響くのに対してBとCはすっきりとした感じで終わります。Cについてはこの休止のとき、録音レベルを人為的にゼロに下げたような感じになるのに対してA、Bにそれはないので、この部分はBが一番いいという結論になりますね。不思議なことに「同じマスター」が出発点であるはずのBからもこのエコーが消えているところです(全部ではないですが)。「マスター」って、録音したレアなものではなく、原盤制作(カッティング)のためのものを指すのが普通ですから、音響的には同じモノであるはずなんですが。
 ところで、AとBは「同じ録音」であることが前提となっていました。これは聴いていると、同じところに同じ会場ノイズ(咳など)が入っていることや、演奏時間がほぼ同じということからも確かめられます。それでは録音機材やマイクの位置は違うけれど、同じ演奏を録音したということになっているCはどうかというと、これが演奏時間そのものが違うんですよ。他の3つの楽章はそれほどではないですが、第一楽章は20秒ほども違います。そこで、今回一番ひっかっかている問題が出てきます。
 これ、本当に同じ演奏なの?
 これは僕も詳しくはないのであんまり断定的なことは書けないんですが、Aは(そしてそれと同じだというBも)演奏の編集、つまり「継ぎ接ぎ」をしているという話しらしいです(そういう噂があり、最近ではこれがなかば定説化しているようです)。この日はリハーサルと昼夜2回の本番、最低3回は通しで演奏を行っているんだそうで、EMIは当然当日は最初から機材をセットしていたでしょうから、全部録音していた可能性は高いでしょう(機材のチェックのためにリハーサルからテープを回していたということは大いにありえます)。そしてその中から、よりいい演奏になるように「編集した」と。
 だからというわけではないですが、Cでは、今までAで印象的だった第四楽章の「演奏の破綻」がありません。収録時間でいうと10分過ぎから休止に入るまでの合唱のクレッシェンドがCにはなく、すっきり進みます。これまた有名な、最終部でオケが走るところもきちんと合っていて、最後も「バン!」と揃って終了します。これは大きな驚きで、今まで「バイロイトの第九」を「バイロイトの第九」ならしめていた「熱情」がなく、実に「普通の名演」という感じです。
 もしCがA、Bの既存盤と違い、コンサートの実況そのままだったとしたら、既存盤はどのような方針で編集されたのかが興味深いです。Cは、明らかな演奏ミスが1カ所あり(第三楽章でヴァイオリンが少し早く出ています)、そこは他の2種(つまり既存盤)では普通に演奏されていますから、ここだけなら「ミスを修正した」程度の話しですが、第四楽章は、わざわざ「ちゃんとした演奏から、破綻したものに差し替えた」といえるような編集だからです。深読みすれば、「演奏はずれているけれど感動的なところを採った」ということになると思いますが、クラシックでそういう判断をするというのは普通ないでしょう。このときのプロデューサーはウォルター・レッグという人で、マエストロとはいろいろあった人(つまり、フルトヴェングラーと互角に話が出来た人)ですが、編集の最終判断はこの人以外考えられません。そのへんの真偽は知りませんが、この、破綻したパーツに差し替えて発表するということが結果的にこの演奏を「不朽の名作」たらしめているとしたら、それは「リバプール出身の無名新人バンドに、自作の曲でデビューさせること」に匹敵する、とんでもなく素晴らしい判断だったといえるでしょう。
 今回の2種のCD、音質についてはそれぞれに長短あり、「これさえあれば他はいらない」的なものを決めるのは難しいです(個人的にはBが一番肌に合いました)。おまけに「さらなる疑問」まで出てきて、まだまだ研究が必要になったような気がします。真相はともかく、久しぶりにこの名盤を繰り返し聴いて、いろいろ学べたと思っています。
 それにしても、演奏から半世紀以上経ってなおまだこれほど話題になり、しかも真相がわからないなんて、食えないなあ、マエストロ・フルベン(笑)。