1年間ありがとうございました。

 今年も残すところあと少しになりました。南関東は昨日今日とも良い天気、でも風も強く、ちょっと肌寒いときもありました。
 毎年恒例の風邪ですが、結局今は夫婦2人が治らないままの年越しで、でもこれは本当に毎年の恒例になってしまいました。実は昨日、親子で外出し、長時間人混みの中にいたせいか、ドレミが熱を出してしまいました。最高で40度。他の症状はなく、相変わらず活発だしある程度食欲もあるので、休日急患などには行かず、解熱剤などを服用しつつ家で休ませています。予定では明日の夜から妻の実家に帰るんですが、ちょっと微妙だなあ。向こうでは従姉のお姉ちゃんもドレミに会うのを楽しみに待っているので、出来るだけ行きたいんですけれどね。
 今年は、家族や友人関係ではそれなりに充実していて(ブログがきっかけで知り合った方に実際にお目にかかったり、オフ会をやったりもしました)、一方で仕事関係ではちょっと不本意な年でもありました。半分は自分の責任だと思っています。これをなんとか解決するのが来年の課題です。
 来年はどんな年になるでしょうね。マスコミでの調査などでは、たくさんの人が「将来に悲観的」と思っていることになっていますが、僕はそう思っていません。未来は明るいと思っています。
 僕たちはふだん、悲惨な事件や社会情勢などのニュースに接するたびに、今という時代はどうなんてしまうのかと不安になります。それは僕もみなさんと一緒で、そうした知らせを見るたびに胸を痛めます。でも、じゃあ、現代は昔に比べてひどい時代なのかといえば、違う、とも思うんです。課題や問題は多く、危険もあるでしょう。でもそれは、昔はなかったものが今あるのではなく、昔は昔の「課題や問題、危険」があり、今は今のそれがあるというだけなんだと思っています。なぜ昔のそれらが今なくなった(あるいは減ってきたか)といえば、それはその時代の人たちが問題の存在に気づき、ひるまずに立ち向かって解決したからなんだと思っています。僕が小学生のころ、公害問題は今よりもっと深刻で、汚水や毒物は垂れ流し放題でした。田子の浦のヘドロなど、僕は写真やニュースで知っているだけですが、今思い出してもものすごい状況でした。それが今、それなりに環境は改善され、少なくとも「環境を守る」ということは社会の前提になっています。例示はこれだけにしておきますが、例えば医療分野での進歩により、かつては助からなかった命が救われたり、セクハラや児童ポルノなど、社会全体の問題意識や理解が深まったためにいい方向に向かっている事象も多いと思います(例に挙げたものが、例えば40年前にどんな状況だったか考えただけでも、現代のありがたさがわかるでしょう)。
 だから、僕は自分の生きる時代を必要以上に悪く考えることなく、やってくる未来は自分たちが明るくするんだ!と、根拠ないんですが考えています。それは自分と自分の友人たちを信じるということであり、自分たちの子どもを信じるということであります。過ぎ去った時代は素晴らしく、今は悪くなっているという意識は、茶飲み話としては受け入れますが、本質論としては僕は受け入れません。
 今年も音楽雑誌で「年間ベストアルバム」が発表される季節がきました。先日買った「ロッキング・オン」のベスト10枚のうち、僕は5枚持っていました。そしてこの5枚は、どれも素晴らしい、聴くに値するものばかりでした。今も価値のある活動をしている人はたくさんいる。それに気づかないのは、色眼鏡で見てしまうのは、同じ時代を生きる人間として申し訳ないことだと思います。僕も、僕たちも鍛えられ、試され、前進する。それが大人の努めでしょう。
 今年ももうあと1時間を切りました。来年はきっと今年よりもいい年になるに違いありません。だって僕たちがいて、僕たちは増え続け、素晴らしい音楽があり、素晴らしい音楽は増え続けているんですから。
このブログに来てくださる皆様にとっても、来年はきっと今年よりもいい年になりますよ。だってなにしろ、やってくる明日はまだまったく白紙なんですから。
 1年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。