アメリカ大衆音楽を考える(第1回)スプリングスティーンとボン・ジ

 僕がボン・ジョヴィを見直すきっかけになった曲は、偶然テレビで観たクリップ(だったと思いますが、具体的な映像は覚えていません)の「Someday I’ll Be Saturday Night」でした。字幕は出ませんでしたが、切ないメロディに勢いがあるけれどどこかウェットなボーカル、そしてメタルバンド的でないアレンジが「?」という印象でしたが、唯一聞き取れた(タイトルでもあったからですが)「いつか僕も土曜の夜になるんだ」という言葉に強く惹かれたんです。何度か書いているように、僕は彼らのあまりいい聴き手ではなかったので、その体験後もしばらくはちゃんと彼らをフォローしなかったんですが、ふつうのメタルの歌詞とはちょっと違うんだな、くらいは思っていました。
 今回のコンサートで僕が「スプリングスティーンのようだった」という感想は、ボン・ジョヴィの歌詞が持つ世界が、ある部分ボスと共通するというところもあったかと思います。ただ、後付けのようで恐縮ですが、彼らの音楽を丁寧に聴くと、いわゆるメタル的な意匠では語り尽くせないものがあったのも大きいです。で、ボスと共通するものが何だろうと思うと、それはアメリカン・フォークが土台にあるんじゃないかなと思うんです。
 僕の憶測の部分が大きいのでそのつもりで読んでいただきたいのですが、アメリカの大衆音楽の土台のひとつに、いわゆるフォークソングがあります。ディランやPPMが世界的に広める「モダン・フォーク」の前の段階、労働歌や移民の歌(ゼップにあらず)などが母体となったフォークミュージック。そうした音楽は1960年代以後はそのまんまの形では表舞台からは消えましたが、その後の音楽にも大きな影響を与えました。労働者や移民たちが(自分たちのことやティピカルな事物を歌った)音楽は、例えばプロテスト・ソングなどに直接的な影響を与えていますが、僕の主観では、そうした「自分たちの足下にこだわる」感覚が、ビートルズ以後のロックの重要な属性である「自意識」と結びつくことで、それまでになかった現代的な「ストリート感覚」を生み出したんだと思います。そうした感覚が、ボスにもボン・ジョヴィ(こちらに関してはすべての曲を吟味したのではありませんから断言はできませんが)にも感じられるんです。
 冒頭に書いた「Saturday Night」では、どちらかといえば過酷な物語が語られた後「今は月曜日のような日々、けれどもいつかきっと土曜の夜のような人生を歩むんだ」と歌っています。これ、そのまんまボスの「Born To Run」のコンセプトといってもいいでしょう。少なくともボン・ジョヴィが「明日なき暴走」を知らないなんてことはないでしょうから、きっと意識して作ったんだと思います。そしてそれが「パクッた」というようなものではなく、同じ土台から生まれたんだということを、今回のコンサートを観ていて感じました。
 音に関しても、「もろR&B」的なものでもなく、(ウエストコーストの音楽に多い)ソフィトケイトされたものでもなく、骨太だけれどどこかアコースティックな演奏、歌詞を乗せることをちゃんと念頭に置いたアレンジ、大味に見えて実は緻密なアンサンブルなど、共通する部分が多いです。そして(これも印象というレベルでしかないんですが)メロディに、どこか両者通じるものがあると感じます。
 実はこの文章は、まだ考察中のものを書き出したので、はっきりした結論にまで至っていません。その意味では読んでいて「?」と思われた方もいらっしゃると思います。僕もここで無理矢理「ボスとボン・ジョヴィは同じ道を歩んでいる、文句あっか?」なんて書くつもりはありません。ただ、「そうじゃないかな?」と思ったことは事実なので、これからしばらく両者を聴き直して、ついでに他のアメリカ音楽も聴いて、考えを進めていきたいと思います。今日はその第1回ということで、未完成な部分、強引な部分も含めて、広い心で読んでいただければと思います。

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