ロッキング・オン3月号の特集に思う

 今売られているロッキング・オン3月号の特集は、来日するレイジ・アゲンスト・ザ・マシーンに絡めた「ロックよ、時代を撃て!怒りと戦いのアルバム100選」です。いかにもこの雑誌らしい特集で、ずらずら100枚並んだアルバムを眺めていたんですが、いろいろ考えさせられるものでした。
 個人的にこの切り口によるアルバム紹介はいいと思います。政治的な歌詞だからいいとか反体制だからいいとかということではなく、ロックの文学性や幅広い音楽性も基準に入れた選択はなかなか面白いと思いますし、なによりビートルズ以後に現れたロックにとっての非常に重要な要素である「批評性」「自意識」がリアルに感じられるアルバムばかりではありました。テーマに異論はありません。
 ただ、その選択の結果はというと、正直「うーん、やっぱりこうか」と思ってしまうものでもありました。念のために書いておくと、個々の作品が気に入らないということではないです。僕はこの100枚のうち、40枚くらい聴いていますが、どれもいい作品だと思います。僕が「うーん」と感じるのは、取り上げられるアルバムが、どうしても「ロック正史」からのものだなあというところです。
 「ロック正史」?なんだそりゃ?と思われる方も多いと思います。別にそういうものが客観的に成立しているわけではないんですが、あるんですよ、なぜか。ロックを歴史的に紐解くときや、真面目に批評しようとするとき、なぜか評価されるスタイルや姿勢が限定されるのです。ブルース直系もしくはそこから派生したものが最優先、次いでビートルズを起源とする「実験精神に富んだバンド」の系譜、そしてパンク、レゲエ、ヒップ・ホップ系。特に現在のロックジャーナリストでは、パンク以後に原体験のある人が多いせいか、パンクがそれ以前の、高級志向になってしまったロックをあるべき姿に立ち返らせたという価値観でものを観ているようです。
 この感覚自体は正しいと思うんですが、そうするとどうなるかというと、今回の特集のようなものでは、ごっそり抜け落ちるロック内ジャンルが出てきてしまうんです。代表的なものはプログレ、へヴィ・メタル、グラムなどです(バブルガム・ポップ系やコテコテのディスコなどもオミットされますが、あのへんはさすがにテーマからの乖離が過ぎるということでしょうね)。今回の100選では、かろうじてブラック・サバスが1枚入っていましたが、そのほかの「70年代前半に売れたロック」は入っていません。一番腑に落ちないのは、例えばクリムゾンやフロイドといった、ロック界を代表し、また作品も素晴らしいアーチストが完全に抹殺されていることです。
 「怒りと闘いを歌った音楽自体は、誰に向けられてきたのか。それは(中略)「YOU」と歌われる、レコードを聴く聴き手である」「ここ挙げた100枚は強い怒りと同様に、どれも重い現実認識を抱えている。(中略)これはプロテスト・ソングの特集ではない。メッセージ・アルバムの特集でもない。ロックに棘のように突き刺さった、そうした終わることのない系譜についての特集である。」特集の冒頭、古川琢也氏による文章にはそう書かれています。そうした視点で見ても、例えば「クリムゾン・キングの宮殿」、「狂気」などが入らない理由がわかりません。僕の主観で恐縮ですが、ジェネシスの初期の作品、特に「The Lamb Lies Down On Broadway」は、逡巡や内省の無限ループを抜け出し、リアルな世界との関わりを始めようという主人公の姿を描いた感動作で、決して単なるおとぎ話でもなければ技術の博覧会でもありません。こうした名作が、「パンクによってロックは救われた」という、いくぶんぶった切りすぎの価値観によって日の当たらない場所に追いやられるのは、1人のファンとして悲しいと同時に、そうした価値判断のみでロックを眺めることにより、逆にロックの多様性、広がりを自ら狭めてしまうことではないかと思います。ロッキング・オンは表紙ロゴの上に「FIRST IN ROCK JOURNALISM」と記載しています。ならばこうした特集では、既存の価値観や「パンク史観」に囚われない視点でものを見て欲しいと思います。
 繰り返し念を押しますが、この特集自体に異論はありません。取り上げられたアーチストもアルバムも(個人的には「?」と思うものや、変だなと思う紹介文もありましたが)素晴らしいものだと思います。だからこそ、抜け落ちてしまったものの大きさにも目を向けて欲しかったと思うのです。次回この特集をするのであれば、アルバム、アーチストともに今回と1つも重複しないものにトライしてはいかがでしょうか?それでもきっとロックには、取り上げるに相応しい名作がたくさんあると思います。偏見や思いこみは、「怒りと闘い」というロックのテーマから最も遠いタームだと思いますよ。