ちょっと回想モードでS&Gを聴く

 もう金曜日。
 いや、僕は月曜火曜と休んでいたので3日しか仕事に行っていませんが、それでも(それだからというべきか)今週は長くて疲れました。仕事に関してはいろいろ思うところあるんですが、それはそれとしてもう少し結果を残したいなあと思います。今の情勢でどれだけできるか?はあ。
 今はこれを書きながら、部屋にサイモン&ガーファンクルの「The Concert In Central Park」を流しています。詳細は省きますが(笑)、昨日からちょっと「回想モード」に入っていまして、このアルバムもそういう気分で聴いています。その後何回も再結成することになる彼らですが(僕も東京ドームなんて場所で来日公演観ました)、このアルバムが録音された1981年は、久しぶりのリユニオンだということで大きなニュースになっていました。日本の新聞にまで記事が載ったほどですからね。その記事を読みながら高校生だった僕は「いいなあ、観たいなあ。せめてライヴ盤が出ないかなあ」と思っていました。その後「出る!」というニュースが流れて心待ちにしていたんですが、その発表は、僕にとっては「大学入試の真っ最中」くらいの日程でした。その日が待ち遠しいのと「来て欲しくない」という気持ちで、なんだか複雑な気分だったのを覚えています。「早く聴きたいなあ、でも、これが聴けるってことはもう入試が始まっているんだよなあ、そんな日々は早く来て欲しくないなあ」という感じ(笑)。バカですね(笑)。そんな心配する程度でしたから、もちろん入試は失敗しました。1年余計に受験生をやりましたよ(笑)。
 このレコード(当時はアナログ2枚組でした)をいつどこで買ったのかの記憶は定かではありません。もう入試は終わっていたと思います。まだ寒い日が続く3月から4月にかけて、よく聴きました。聴き始めは「?」と思ったのをよく覚えています。演奏が悪いわけではないんですが、オリジナルの、あの緊張感が再現されていない感じで、最初の数回は「これはハズレかな?」と思いました。それが何回も聴くうちに違和感がなくなり、今では愛聴盤です。僕が違和感を持ったのは、S&Gオリジナル楽曲の緻密なアレンジやコーラスワークが再現されていないというところだったんですが、それは当事者も承知のうえで、再現ではなく、その時にできる最善を尽くしたんだと思います。だから何回も聴くと「違うぞ」という部分ではなく、そのアレンジに慣れていって、馴染んでいけたんだと思います。いや、実際聴けば(ちょっと曲によって波はあるし、全体にフュージョンっぽいところも気にはなりますが)なかなかいい演奏です。
 そして僕がこのアルバムを聴くたびに思うことは、ポールのソロ曲におけるアートの貢献です。このアルバムではポールのソロ時代の曲を2人で歌っているというものが数曲ありますが、これがどれもオリジナルを超える素晴らしい仕上がりになっています。特に「アメリカの歌」での、アートのソロから入るアレンジは見事の一言で、これ以上のものは考えられません。「僕とフリオと校庭で」「僕のコダクローム」「スリップ・スライディング・アウェイ」などでのデュエットは、まるで最初からこういうアレンジだったのではないかと思うほどの出来で、アートが参加していない「時の流れに」での、単にスタジオバージョンをなぞっただけの演奏と比べると雲泥の差です。後付の理屈ですが、ポールのソロ曲だったこれらの曲にアートが参加することで、初めて「曲に相応しい歌手を得た」とでも言えるような、実に感動的な「はまり」具合です。先に書いたように、S&Gの曲を楽しむためには少し時間がかかった僕ですが、ポールのソロを2人で歌ったものは、すぐに大好きになりました。それは今でも変わりません。
 このアルバムを初めて聴いたのは、今くらいの時期でした。入試の結果は思わしくなく、春からは浪人生活に入りました。予備校の席取りの列に並びながら聴いていたウォークマン(当時はカセットを何本もカバンに入れていましたね)で、このアルバムはいつもヘヴィ・ローテーションでした。決して楽しい日々ではなかったですが、今振り返ると、今までの人生でひとつの転機であったなあと思い出します。このアルバムを聴くたびに、あのころを思い出します。
 追記:現行のものはどうなっているかわかりませんが、僕が持っているCD(最初の日本盤CDです)は、収録時間の関係で歓声などの会場ノイズがちょっとずつ「はしょって」あります。特に「明日にかける橋」が終わった後間髪を入れずに「恋人と別れる50の方法」が始まってしまうのは興ざめです(アナログではここで面が変わるんですが、「明日にかける橋」終了後の歓声はもっと長く収録されていました)。今だったら長時間収録が可能だから、ちゃんと入っているんでしょうか?