微熱モード(苦笑)

 腰痛の続報。
 結局昨日は仕事に行かれませんでした、というか、ベッドから出るのにも一苦労(笑)。前回の日記に書いたようにヘルニアの再発を危惧して、這うようにして病院へ。
 レントゲンまで撮影した結果は、「ヘルニアの再発ではありません。骨も異常なし。要するに運動不足による筋肉声の腰痛ですね。薬出しますが、痛みが引いたら運動してください」ですと(苦笑)!
 その薬を飲み、湿布を貼って、ともかく今日は出勤。予想以上に歩行がきつく難儀しましたが、今日はデスクワークのみにして、ともかく机の上(に山のようにある仕事)を処理することに専念しました。なんとか1日過ごし(けっこう腰がけだるいです)、今はのんびりムード。今はともかく、出勤することが第一と考え、1日1日過ごすようにしています。
 ここ数日、「微熱モード」です。いや、自分で名付けのではなく、このブログにも来てくれるさる方が、某SNSで最近の僕についてそうおっしゃっているんです。某SNSでは、ここ数日、「○○を観て・聴いて○年前のことを思い出す」というようかことを書いていて、それがいくぶん「美しい思い出」モードだったので、そう名付けられたようです。自分では意識していなかったんですが、そういう状態なのかな?
というわけで、今日はここ数日聴いていた曲を徒然と書いていきます。
 ビリー・ジョエル「And So It Goes」
 これは1989年に発表された「Storm Front」ラストの曲。ほとんどピアノのみといっていいシンプルなバックと静かなビリーの歌声のみの静かな曲です。「誰の心にも恋の痛手を癒し、新しい出会いを待つための聖域のような部屋がある」という出だしの歌詞は、いつしかもう一人の登場人物である「You」に対しての言葉になります「僕に選ぶ権利があるのなら、この『部屋』を君と分かち合いたい/でも君にも自分の気持ちに従う権利がある/この僕の想いを打ち砕きたければ、そうしてくれていいんだよ」という言葉。
 これはラヴソングですが、単純な「僕は君を愛している、だからハッピー間違いなし!」というようなものではありません。「僕」の気持ちが報われるかどうかが問題ではない、もっと深いところから、相手を許し、委ねるような、そんな歌です。僕はずっと以前、この曲を旅行先のホテルの部屋(のラジオ)で聴きました。その旅行がどんなものだったかはここでは伏せておきますが、今もこの曲は、聴くたびに心に沁みてきます。僕はまあ、ごく普通の人生を歩んでいる人間なので、そんなに「人生の大事件」というような局面は少ないんですが、それでも、ふと足を止めるような場面は確かにあるようです。
 ここしばらく、主に仕事上のことでですが、いろいろ考えることがあります。あまり明るい考え事ではないので、どうしても気持ちがうつむき加減になってしまいます。そうしたとき、ふっとした瞬間にこの曲が頭に浮かびます。振り返れば、その旅行のころが、いろいろな意味で人生の転機だったのかも、と思うことがあります。100パーセントいい方向に行ったのかと言われれば「うーん」と唸ってしまいますが、「やり直したい?」と問われれば、それもまた違う。辛いことも不本意なこともあるけれど、でもある時点から後の全部を「なかったこと」にしたいわけじゃない。そんな気持ちに、この曲が入り込みます。思い通りいかないことも含めて受け入れよう。そう静かに語りかけてくれているようです。ビリーは実は、微細に紐解いていくと評価の難しいアーチストですが(もちろん才能やパフォーマーとしては超一流だと思いますよ)、この曲の寂しげな優しさや多くの意味を持った歌詞は、僕にとってどんな名曲にも劣らない素晴らしい魅力をたたえたものだと思います。
 さて、本当はこの他にビートルズの「All My Loving」やボブ・ディランの「Every Grain Of Sand」やポーグスの「Fairytale Of New York」や「メリー・ポピンズ」の挿入歌「Feed The Birds」などを書こうと思っていたんですが、ちょうど時間となりました(笑)。今日の日記は非常に意味がわかりにくいものになっているかと思いますが、風邪薬と痛み止めを飲んで酔っぱらったオヤジの譫言だと思って、笑って許していただければと思います(笑)。
 

Storm Front

Storm Front

さあ、明日も出勤するぞ!