「帰って来たヨッパライ」をきっかけに再発見

 昨日買い物に行くとき、カーステレオでかけたオールナイト・ニッポンのCDにフォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」が入っていて、それを聴いたドレミがハマッたらしく(笑)、帰ってきてから「しんじまっただー」と繰り返していました。あんな小さな子どもにも受けるなんて、さすがフォークルです。この曲は、知らない日本人はいないんじゃないかと思うほど浸透した曲で、いわゆるノベルティソングですが、まったく飽きが来ないというか、紛れもない名曲ですね。この曲が大ヒットしたころ、僕は幼稚園に通っていたくらいの年齢で、わりとはっきり記憶していますが、テレビから流れてくるこの曲を聴きながら「どうやってこんな声出しているんだろう?」と不思議に思ったものです。
 で、娘に影響されて(笑)久しぶりに「ハレンチ」を聴いてみました。僕が持っているのは今から13年前に出たCD。「イムジン河」はオリジナルバージョン(2番はハングルで歌われています)の他に、ボートラとして当時発売を見送られたスタジオ・バージョンを追加収録されています。この曲は数年前に再発されて大きな話題になりましたね。僕はその再発バージョンは未入手なので比較できませんが、ボートラのテイクだけ音質が良くなりますので、同じものかも知れません。
 その「イムジン河」と「ヨッパライ」が突出して有名なため、他の曲が少々目立たないことになっていますが、改めて聴いてみて、アルバムとしての完成度も高いことに気づきました。当時の彼らのレパートリーをそのまま演奏した選曲は「ソーラン節」や「コキリコの唄」といった民謡、「ラ・バンバ」などのラテン、黒人霊歌「ヨルダン河」など、実に多彩。こういうものが当時のカレッジ・フォークでの平均的レパートリーだったんでしょうか?「ひょっこりひょうたん島」は大胆なアレンジで高揚感にあふれています。「雨を降らせないで」では「夢は夜開く」や「親亀の背中に子亀を乗せて〜」などを挿入し、自分たちの解散まで歌詞に盛り込むなど遊び心いっぱい(フォークルは当時学生だったメンバーが期限付きで活動していたアマチュアで、「ハレンチ」は解散記念に制作された自主制作盤です)。これを聴くと、日本のフォークソングと言われるもののルーツや視野がよくわかり、同時に加藤和彦北山修などのセンスや才能の大きさもよくわかります(加藤和彦の歌声は、もうこのころから聴く人を惹きつけます)。
 このアルバム、というよりも収録曲「帰ってきたヨッパライ」と「イムジン河」が辿った、正反対と言っていいその後の道のりはもう誰でも知っていることですね。特に、一時はほとんど聴くことができなかった「イムジン河」は、今ではフォークルの曲の中で一番有名といっていい曲になりました。
 僕は音楽を政治性や思想性(のみ)で図ることには違和感を憶えますが、さりとて「音楽と政治は別だ」と言い切ってしまうのにも、ちょっと躊躇してしまいます。ちょっとどっちつかずの立場(?)で申し訳ないですが、そうした僕も含めたいろいろな立場を飛び越えるように音楽が存在するということだけは、素晴らしいことだと思います。自戒のために書きますが、こうした問題についてちゃんとした言葉で語れるようになりたいなあと思います。もちろん僕が本当にやりたいのは「音楽を讃える」ことで、もしも部外のなにかによって音楽が消されるのなら、「音楽の弁護」です。
 今これを書きながら聴いているのはもちろん「ハレンチ」。いろいろなことを考えながら、でも聴いていると楽しくなってきます。なんだかドレミのおかげで思いがけない再発見できて、いろいろ考えることができました。ありがとう、ドレミ(笑)。

ハレンチ

ハレンチ