ギターマガジン8月号特集のジョージとクラプトン

 今日買い物に行って、本屋さんに寄って本を2冊購入しました。1冊は浦沢直樹×手塚治虫の「PLUTO」最新刊。僕は雑誌連載はフォローしていないしネット等での情報も集めていないのでゲジヒトが死ぬことは今日これを読んで知りました。彼は最後まで生き抜いてこの物語の語り部となると思っていたんだけどなあ。切ない最期でした(この作品のロボットの最期はすべて切ないですが)。巻末の山田五郎氏の解説は、正直に言って「あ〜あ」というものでしたが。
 山田氏と同世代(僕の方が3歳下)のロックファンの一人として少し書かせていただくと、解説文前半にある状況論(世代論か)の手あかのついた決めつけと(こうした論陣を張る批評家は多いですが、クィーンやエアロ、パンクやニュー・ウェーブをリアルタイム経験した者からすれば噴飯モノですよ)、後半の「手塚原作にあった残酷性とエロティシズムが欠けている」(要約shirop)という、手塚オリジナルと浦沢バージョンの語法や語り口の違いを(たぶん故意に)無視した批判は、氏がこうしたフィールドに対して造詣が深いだけに本当に残念です(原作に出てくる、アトムのパンツをはいたウランのどこが「エロ可愛い」んだか?)。大急ぎの執筆だったのかな?
 もう1冊、これは「PLUTO」目当てだったのに偶然目に止まり購入したものです。「ギターマガジン8月号」。「ギターは泣いている」というタイトルで、ジョージ・ハリスンエリック・クラプトンを特集していたからです。表紙も当然この2人、デラニー&ボニーのツアーに客演していたときのモノクロ写真で、とても美しいものです(ピントがジョージに合っているところもなんとなく嬉しい)。
 内容はというと、ギター・マガジンらしく例譜などで奏法を説明しているものもありますが、特集の大半は文章で、それもジョージとクラプトンの、人間としての関係をテーマとしたものでした。これが実にしっかりしていて、単純な「昔からの友人・パティを取り合った」なんてレベルを遙かに越えて、2人は「ソウルメイト」として複雑で強い絆を持っていたんだという内容でした。最近出版された「エリック・クラプトン自伝」(買ったけどまだ読んでないや)などを論拠にしての文章は説得力があると同時に2人に対する愛情が感じられるものでした。
 「スワンプ・ミュージックへの傾倒」(執筆は小川真一氏)などはコンパクトな文章量ながら要を得た内容で、ヘタな専門書を読むよりも的確簡潔に、スワンプ・ミュージックとその成立及びイギリスへの伝播が理解できます。ちなみにその文章を読むと70年代初頭のスワンプ人脈がよくわかりますが、ジョージとリンゴの名前は出てくるのに、ジョンとポールは登場しません。優劣という意味ではないですが、そういう部分から僕は「あの2人」の別格的な位置を感じます。
 2人が使用した楽器の紹介(あの「ルーシー」は大きな写真入り)や、91年来日公演のレポート、それにクラプトンとビートルズのメンバーが関係した仕事の一覧表など、非常に面白くてかつ便利。2000年に掲載されたというジョージのインタビュー(クラプトンについての発言)まであり、とても密度の濃い特集でした。なにより嬉しかったのが、単純にギターテクニックを比較したりするのではなく、総合的なミュージシャンとして2人を的確に浮かび上がらせているところで、改めてこの2人の不思議な縁と、2人の功績がわかります。
 この特集を読んで無性に聴きたくなり、今は部屋にあの「Live In Japan」を流しています(ちょうど今「Isn’t It A Pity」です)。今考えると、あの日本公演は奇跡のようなものでしたね。僕は初日の横浜と東京ドームすべてに行きました。広すぎる会場でジョージの本当の魅力を感じるには不適当だと感じましたが(それは今でも思っています)、諸々のマイナス条件を差し引いても、あのときあのコンサートが実現し、観客としてその場にいられたことは最高の幸せだったと思います。
 今部屋流れているのは「While My Guitar Gently Weeps」。これを直に聴いたんだなあと思うと、切ない気持ちになります。このアルバム、というより、あの来日ツアーは、日本のファンにとっては忘れがたい思い出ですね。