サザンの30年に思う

 昨日は横浜の日産スタジアムであったサザンオールスターズのコンサート「真夏の大感謝祭」を観てきました。コンサート自体は今夜もあるし、Wowwowで今夜オンエアされるので、これから体験される方もいらっしゃるでしょうから、ネタバレも含む感想は明日以降にアップしようと思います。今日はその前哨戦で、サザンの思い出と僕の思いを。
 今回の「無期限活動停止宣言」については、僕はそんなに衝撃的だという感想は持ちませんでした。サザンはもうずっと前から、通常の意味でのバンドとしての実体はなく、数年に1回アルバムとコンサート(非常に大規模な)を行うだけのものになっていました。その音楽自体も、スタジオ録音のものはバンドのグルーブを活写したというよりも緻密な作り込みにより完成させた「作品」だったし、コンサートも多くのサポートメンバーに支えられて成立するようなものでしたから、僕にとってバンドとしての「かつてのサザンオールスターズ」は、かなり昔に消滅していたという気持ちでした。
 だから今回の宣言には、「ああ、桑田さんがついに正直にカミングアウトしたんだなあ」という感想を持ったものです。宣言後の世間の大騒ぎ(メディアの空騒ぎも含めてですが)を観ていると、あのバンドがいかに大きな存在かよくわかり、その大看板を事実上ひとりで背負っていた桑田さんの心労は大変なものだったんじゃないかと考えます。上に書いたようにコンサートはサポートメンバーによって成立していましたが、そのメンバーは、ツアーごとに変わるのではなく事実上固定されていたし、毎回非常に長い時間かけて行われるメンバー紹介コーナーなどでも、桑田さんがいかに「仲間」を大切にしているか伝わるものでした。そうしたものも全部含めて、いったん全部「肩から下ろそう」という気持ちになったんだというところでしょうか?なにしろ30年という長い時間です。ここまで、大したものだというのが実感です。
 サザンのデビューは、僕が中学3年生のときでした。「勝手にシンドバッド」を初めて聴いたときは「なんだこりゃ?」という感じでしたが(当時すでに洋楽少年でした)、なにか引っかかるものがあり、友人から借りたファーストを聞き続けていました。今考えたら、日本中がそんな感じだったんではないかと思います。
 サザンがデビューしたころあたりから、「日本のロック」は「商売」として成立し、歌謡曲や演歌に混じってヒットチャートに入ってくるようになりました。でもそんな中にあっても、桑田さんのあの才能は、すぐに居場所を確立できたわけでなく、数年は試行錯誤が続くことになります。これをお読みの若いファンの方は信じられないでしょ?でも本当ですよ。デビューから数年は「曲が書けなくてノイローゼ」(デビューすぐ後の「ザ・ベストテン」での黒柳徹子さんの言葉)だったり、テレビ出演を止めてシングルとコンサートのみで活動したり(サード・アルバムの「働けロックバンド」はそのことを歌っています)、かなり長い間続いた、あの歌詞のセンスに対する批判的な評論など(「乱れた日本語」とか言われていました)、いろいろ憶えています。
 結果論めいた書き方ですが、サザンの巨大さ故になかなか簡単に「了解されなかった」とも言えますし、逆に、彼らがパイオニアになって「ロックバンドが売れ続けること」という未踏の地を開拓していったとも言えます。レトリックはどうあれ、大切なことは音楽は常に楽しくて感動的で、しかも質が高かったということ。ロックというと「これはロックか、ロックじゃないか」という議論が多いですが、はじけたナンバーもあり、切ないバラードもあり、聴いたこともない響きもあり、パクリぎりぎりのフレーズもあり、タイアップも社会批判もあり、真摯なメッセージもエロ丸出しの演出もあり、そしてそこに常に「アーチストとしての主体」が存在していたということは、どんなに賞賛してもしすぎることはないでしょう。そしてなにより、そうした様々な要素や活動がありながら、「常に第一線にいた」ということ、日本のロックでこれを成し遂げ、後に続く才能に扉を開いた功績は、「日本における大衆音楽の歴史を変えた」と言っても過言ではないと思っています(個人的にMr.Childrenの作詞センスはサザンのそれに大きく影響を受けていると思います)。
 あと30分ほどで、いよいよコンサートが始まります(ビデオ、セットしなきゃ)。僕は昨日すでに体験してきました。そのとき桑田さんが「このコンサートを伝説にはしない。ここにいるのはいつもと同じサザンだ」とMCしていましたが、その言葉とは裏腹に、やっぱり大きな「区切り」だと思います。実際その場にいる人も、テレビで観る人も、それぞれのサザンを確認するんだと思います。それはまさしく、日本のロックのひとつの達成だと思います。