ジョージの命日に、ビートルズという存在を再考する

 今日11月29日はジョージ・ハリスンの命日になります。早いものでもう7年。僕にとってこの7年は公生活でも私生活でもいろいろなことがあったので(概ねいい方向ですが、個々にはあれやこれやありました)、それも含めて感慨深いです。もちろんファンとして当然憶えている日ですが、ジョージ不在の7年間は、僕個人のこととしてもある感慨を抱く7年間です。ということで、今日はジョージにまつわるあれこれを書こうと思っていたんですが、ちょっと趣向を変えたいと思います。
 少し前に東京ヒルトンさんのブログ「いつも心にビートルズ」で「『Get back』閉店に思う」という文章が載りました。あの有名なビートルズ専門店が(系列の数店も含めて)地価高騰の煽りを受けて閉店するというニュースから、ビートルズは、(少なくとも現役の購買層としての)ファンベースではマイノリティになったのではないか、という内容のものです(要約が間違っているかも知れませんので、こちらの原文も読んでみてください)。
 これはある意味で、現代のビートルズファン事情を的確に描いたものだと思います。確かにファン層の中心は40代以上なのかも知れないですね。そしてそれくらいの年齢のファンはもうCDも全部持っていると(何種類も持ってる場合もありますね)。今の10代20代の現役音楽ファン(変な表現ですが、意味は通じますよね)にとって、ビートルズは必ずしものめり込む対象ではないのかも知れません。東京ヒルトンさんの分析や寂しいと感じるお気持ちはよくわかります。なので、知らんぷりしてジョージのことを書くのがちょっと躊躇われるのです。
 ただ、僕自身はまた別の感想も持っています。確かに現在のマーケットの中でビートルズの占める割合がものすごく高いわけではないでしょう。でも、現実に新譜(「1」「キャピトル・ボックス」「Love」など)が出ると大きな話題になりますし、それは年配の人達(ふだんはなかなかCDショップに行かないファン)だけが騒いでいるわけではないとも思います。僕は今でも日常的にCDショップを巡るのでわかるのですが、60年代・70年代などに大スターだったアーチストでも、今現在店頭に総てのアルバムが置いてあることは稀です。ヘタをすると廃盤になったものもあります。僕の知る限りですが、ビートルズストーンズ(そして最近盛り上がってるザ・フー)が例外的で、大々的なリイシューなどがあった場合を除くと(これがまた初回限定とかだったりしますが)、相当知名度のあるアーチストでも入手可能なアルバムは限られます。そういう中にあって、必ず入手できるビートルズは、やっぱり別格的な存在だと思うのです。
 そしてここから話しはちょっと大きくなりますが、僕の主観として、現在のポピュラー・ミュージックの音楽的・商業的基礎はやっぱり今でもビートルズによって作られたものだと思います。もちろん優れたアーチスト、売れたアーチストはビートルズ以前も以後も多く存在しましたが、業界のあり方を大きく変え、また、ロックグループのフォーマットや自作自演スタイルが定着したことは、やはりビートルズがその嚆矢だと思います。何よりも僕が大きいと思っているのが、ビートルズの出現以後、大衆音楽であるロック、ポップスにおいて「アーチストの自意識」が大前提になったことです。
 別に政治的なステイトメントを表明するという意味ではなく(そういう意味もありますが)、「ただ歌うだけ」「ただ演奏するだけ」では1960年代以後の大衆音楽シーンでは生き残れず、必ず「表現に向かう自分」という存在が大前提になったということです。ちょっと抽象的ですが、ビートルズには、例え単純なラヴソングであってもその中に(歌詞にも、メロディにも、演奏や歌声にも)それが感じられます。この「自意識」はビートルズ以後の優れた(そして大多数の)ポップス系・ロック系アーチストに必ず備わっているもので、音楽シーン全体が、そういう価値観を持って今まで進んできたことを証明していると思います。ヘタな例えになりますが、ビートルズというビッグバンによって、現在の音楽シーン、音楽市場という「宇宙」ができあがったというようなものです。そうしたシーンにあって、ビートルズの存在は、月日の流れで多少の浮き沈みはあっても、必ず最も大きい影響力を持ち続けると思います。言い換えると、現在大きなセールスと人気を誇るアーチストがいるとして、そのアーチストが真に優れたアーチストであり、シーンの中で重要視されるのなら、そのアーチストは(本人や周り、ファンが意識しなくとも)ビートルズの作った基準の中にいるのです。
 僕がビートルズのファンになったのは今から32年前、ビートルズ解散後6年といったあたり。レコードが再発売されたところで、世間的にもかなり盛り上がっていました。でも、僕の周りに熱心なビートルズファンは多くなかったです。それはそれ以後もそうでした。アルバムを持っているとか、好きなバンドのひとつがビートルズという人は多かったですが、全アルバム集めようとしている人やソロアルバムまで聴いているファンは、むしろ少なかったです。ただ、周りにたくさんは発見できなかっただけで、社会全体ではたくさんいたんだと思います。その状況は今でも変わらないのではないかな、というのが僕の正直な感想です。
 東京ヒルトンさんの感じてらっしゃる思いのかなりの部分、僕もわかります。でも僕は、現在の大衆音楽が、その根本のところで大きな変化を起こすのでない限り、ビートルズはスターであり続けると思うし、たとえどんな変化が起ころうと、「巨大な存在」であり続ける普遍性を獲得していると思います。
 注:今日の文章は、本来なら東京ヒルトンさんのブログにコメントすべきものでしたが、長くなってしまったのと少し時機をはずしてしまったので、ここにアップします。東京ヒルトンさんには事前に承諾をいただくことなく何回もお名前を書いてしまいました。すみません。個人的な批判批評をするものではありません。趣旨をご賢察いただければと思います。