小ネタ 0系新幹線引退

 昨日のことですが、テレビで0系新幹線が完全引退というニュースをやっていました。僕は不勉強なもので、今も現役だったとは知らなかったんですが、ずっとがんばっていたんですね。
 僕は南関東在住で、しかも母方の郷里が関西だった関係で、東海道新幹線にはそれこそ開通直後から何回も乗っていました(新幹線の開通は僕の生まれた1年後)。今は違いますが、子どもの頃住んでいたのは、新幹線の線路から数十メートルしか離れていないところで、それこそ自宅の庭から猛スピードで疾走する新幹線が見えました。母から聞いた話ですが、赤ん坊だった僕が泣きやまないとき、乳母車に乗せて外を歩くと、新幹線の線路を造るための突貫工事の現場がよく見えたそうです。
 あのころの新幹線(当然、東海道新幹線)は、「超特急」といわれていました。子供心にも「ふつうの電車とは全然違う」というイメージで、母方の祖父母に会いに行くために乗車するときはとても嬉しかったのを憶えています。「ひかり」「こだま」という名前も、実にイメージぴったりで、見事なネーミングだと、今でも思います。
 昨日のニュースでは「丸い鼻で親しまれた」とアナウンスされていましたが、あのフォルムは、それまで世界のどこにもなかった、未来的であると同時に普遍的な、美しいデザインだったと思います。現在運行しているさまざまな新幹線車両が、どれだけ意匠をを凝らしても0系のバリエーションに見えるというのことがそれを証明していると思います。
 図らずも僕とほぼ「同い年」の0系新幹線さま。みんな、あなたのことは忘れないでしょう。長い間お疲れ様でした。