故郷を持たない天才(ファイアーマンの新作に思う)

 ポール・マッカートニーの変名ユニット「ファイアーマン」の新作「Electric Arguments」が出ましたね。僕も早速聴いています。ファイアーマン名義では3作目になる今作ですが、前2作がけっこうナニな内容だったのに対して、今回はボーカルをフィーチャーした曲がメインで、格段に聴きやすくなっています。全体に、いつものポールらしい作り込みはないですが、ユースのプロデュースだからなのか音の空間のとり方がいつものポールと違い、それがいい方向に作用していて、気持ちよく聴けます。曲も概ね良好。ちょっと単調ではありますが、ポールのファンなら絶対にわかる、「あの感じ」(「MacCartney」の収録曲にも通じる)もあって、事前の予想以上にいいアルバムだと感じます。変名ユニットなのでリラックスできたのかも知れませんね。本人が楽しんでいる様子も伝わってきます。ちょっと気になったのが、曲調にアメリカのブルースやカントリー的なものを感じたこと。「Dance ’Tii We’re High」などちょっとねじくれたフィル・スペクターのようで、長年のポールファンとしてはいろいろ想像してしまいます。
それでも通して聴いていると、アメリカ音楽的な部分はあくまでテイストで、本質はいつもと変わらないポール・マッカートニーだと実感できます。
 で、今回はふと思うところあって、ファイアーマン以外にポールの「少し毛色の違う作品」を続けて聴いてみました。カントリー・ハムズやスリリントン、それからクラシック作品や「Back In The U.S.S.R.」「Run Devil Run」といったあたり。どれもちゃんとした音楽で、聴いていて楽しいです(個人的には「Working Classical」が好きです)。
 こういう作品を聴くと、つくづくポールは「音楽的なルーツを持たない人なんだなあ」と思います。別にやっている音楽がニセモノだというわけではありません。どれも見事です。でもそれは逆に、ポールの本質が特定の音楽ジャンルやスタイルに依拠しているんではないということを示していると感じます。そして不思議なことにポールの場合、どの音楽をやっても、絶妙な「距離感」を感じます。ふつうミュージシャンはどんな人でも、自分の表現のルーツというか、核となる音楽性があって、それを出発点にして音楽を創造します。だから自分のルーツからはずれた音楽をやると「変わったなあ」「無理しているなあ」などと思われてしまうんですが、それがポールは、そういうルーツを想像することが難しいんです。
 それはポールの「絶対ルーツ」であるはずのロックンロールでさえ感じることです。そしてそういう印象がありながら、どれを聴いてもちゃんと「ポールらしい」と思わせてしまう「何か」もあるのです。改めて考えてみたらとんでなく凄いことだと思います。誰もが持っているはずの「音楽的出身地」を持たず、なお偉大な作品を作り続けることができるなんて、この人以外にはいないのかも知れません(同じように幅広い活動レンジを持っていたフランク・ザッパは、よく聴くとそのルーツがオーソドックスなR&Bであることがわかります)。よく独特の音楽性を持ったアーチストについて「すでに○○(アーチスト名)というジャンルを形成している」という文章を見かけますが、ポールほどこの言葉に相応しい人はいないのかも知れません。
 それにしてもこのファイアーマン、66歳の大家が作ったとは思えない「若気」を感じる作品です(完成しきれていないという印象も含めて)。こういうことができるポールを、僕は心から尊敬します。

ELectric Arguments[日本語解説付き国内盤]

ELectric Arguments[日本語解説付き国内盤]