サイモン・ラトルと「演奏する喜び」

shiropp2009-02-08

 今日の南関東は暖かい小春日和。我が家はドレミのための雛飾りを出してきました。このお雛様を飾るのも今回が4回目。1回目はわけがわからず、2回目は怖がって泣いていたドレミですが、昨年からは「かわいいねえ」と言いながら一緒に飾り付けをするようになりました(まだまだ真似事ですが)。
 僕は仕事関係でなんとなく疲れ気味、妻はちょっと風邪気味なので、今日はのんびり。コピを連れて散歩したり、庭でチューリップの芽を観察(?)したり、陽気に相応しい過ごし方をしました。午後のひとときも、明るいクラシックを鳴らしながら写真の整理や読書など。今日聴いたのはハイドン交響曲。オケはベルリン・フィル、指揮はサイモン・ラトル
 ラトルって、ベルリン・フィルの監督になってから賛否両方の声が聞こえてくる、というか「否」の声ばかり聞こえてくるんですが、実際の評価ってどうなっているんでしょうね?あのオケのシェフをやって貶されないのはフルトヴェングラーだけで、あとは全員(といってもフルベン以後は3人しかいませんが)「アンチファン」がいるような感じですよね。特にラトルの場合はそれがはなはだしいように(僕の主観では)思います。実際にコンサートを生で聴いたわけではないのでなんとも言えませんが。確かに以前聴いた「惑星」や「運命」(これはウィーンフィル)などは、いいんだけどものすごく感動したわけでもない。でも、批判されるような演奏でもないと思うんですけどね。
 今日聴いたハイドン交響曲。89番と90番の実況盤。この90番の終楽章では、一部で有名な「フェイク・エンディング」が聴けます。いったん終わったと思わせてお客さんに拍手させ、おもむろに演奏を再開〜会場大笑いというアレです。ご丁寧に3回もこれをやり、会場は大喜びです。演奏も実に見事。終楽章はわりと急速調でテクニカルですが、そのへんはさすがベルリン・フィル、きびきびしていると同時に明るくて楽しそう。ラトルのあの、気さくな笑顔を思い浮かべられます。オケも一緒になって喜んでいるようです。
 ラトルの持ち味って、結局はこういう、「演奏を心から喜ぶ」という視点から紐解くと、理解や受容がしやすいんではないですかね。少なくとも僕はこのCDの演奏はいいと思います。いろんなことをやるので一貫性はないですが、なんだか「演奏する・指揮する喜び」はいつもあるような気がします。考えてみれば彼がベルリン・フィルの監督になってからまだ6年、様々な意味で、彼はこれから成熟していくのかも知れません。でも、将来本当に誰もが認める「大指揮者」になったときも、この「ハイドン90番」みたいなことをやってくれる人であってほしいなあ、とそんな風に思います。
 明日からまた新しい週が始まります。最近は仕事の(気分的)疲れがひどいですが、またこの90番ラストを聴いて、ラトルに楽しませてもらってからベッドに入ろうと思います。明日もがんばれますように。では、おやすみなさい。

ハイドン:交響曲集(第88番「V字」~第92番「オックスフォード」&協奏交響曲)

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