フィル・スペクター禁固刑に思う

 フィル・スペクターについて、悲しいニュースが入ってきました。殺人容疑で有罪評決があったことは少し前に報道されていましたが、禁固19年以上の不定期刑が言い渡されたそうです。
 犯された犯罪についてはもちろん肯定はしませんが、ニュースを読んでいてちょっと妙だなと感じたのは、彼の業績について、ビートルズの「Let It Be」のプロデュースをしたことが大きくクローズアップされていたことです。フィル・スペクターの業績っていったらあれとかこれとか、書くこといっぱいあると思うんですが、一般ニュースってこういうものなんでしょうかね?変な言い方ですが、こういうところでビートルズの存在の大きさがわかります。
 一世を風靡したというよりも、ポップスについて確かな「ひな形」を作ったといっていい彼ですが、70年代中盤以後の迷い方は切ないものがありました。僕はレナード・コーエンラモーンズ(それにジョンやヨーコのもの)なども聴きましたが、正直なところ、「プロデューサーがフィルだから作品の質が上がった」とは言いにくいものでした。
 フィルのプロデュースは単に音のことだけに止まらず、そのアーチストに対する「支配」まで意味するようなところがありました。彼が本当の意味で活躍した50年代後半から60年代中盤まではともかく、いわゆる「ロックの時代」以後は、そういう形での「君臨」はアーチストの側から忌避されるようになってしまいます。大衆音楽自体がすでに音楽家自身の主体性をエンジンとして進むようになったころから、フィルや、フィルのようなアプローチをする業界人は活躍の場を失っていきます。今ここで、そういう歴史の流れを語ることはまったく自明の事柄になりますが、フィル本人にとってそういう流れを現在進行形で、しかも当事者として見ることは、どんな気持ちだったんでしょう?そしてそういう流れの果てに今回の事件があったんだとしたら、僕はひとりの音楽ファンとして犯罪に対する怒りとともに、一抹の寂しさ・悲しさを抱かずにはいられません。
 フィルが創り上げた音楽は、きっとこれからも聴かれ続け、愛され続けていくことでしょう。僕もきっと聴き続けると思います。罪を犯したということが厳然たる事実として動かしがたいように、彼の音楽が、作者の行状に関わりなく世の人の耳に届き心に響くことも、また現実だと思います。不謹慎な文章かも知れませんが、被害者の方へご冥福をお祈りしつつ、音楽を愛する人間として書かせてもらいました。