追悼 マイケル・ジャクソン

 昨日の朝にあった「マイケル・ジャクソン死去」の報道は、やっぱり本当のことでした。テレビでも大きく取り上げられ、新聞の夕刊にも1面掲載されていました。なんだかんだいって大スターだったんだと実感しました。
 ここ数年のマイケルは、たくさんのスキャンダルや刑事裁判などで、本来の仕事である音楽活動に集中できないように見えました。健康状態について言及されることもあり、ファンとしては正直辛かったというのが本音です(スターの宿命といえばそのとおりですが)。
 彼は11歳でデビューし、人生のほとんどをショービジネス界で過ごしてきました。成功しても過酷だった少年時代を降り戻そうとして「ネバーランド」を建設した、とはよく語られることですが、そうしたものだけではなく、彼の音楽やダンスといった本来の活動でも、彼は常に「今以上のもの」「理想のもの」を求めていたように感じます。今回の報道では「音楽活動は徐々に低調になった」というように書かれていますが、彼の「Thriller」以後の諸作品も実は非常に質が高く、駄作などありません。ただ、ひとつひとつの活動は賞賛に値するんですが、俯瞰するように考えると、なんだか心から晴れ晴れともしません。そこがずっと気になっていました。
 もう15年以上前ですが、僕は1回だけ、マイケルのコンサートを東京ドームに観に行ったことがあります。とても良い席で、間近にマイケルを観られてそのパフォーマンスに圧倒されましたが、コンサート全体は異様な緊張感に支配されたものでした。明るい曲はあるし、マイケルもにこやかに挨拶などするんですが、全体の印象はものすごくタイトでした。そのコンサートの途中、ジャクソン5のヒット曲メドレーのコーナーがありました。そのときマイケルの後ろに4本のスタンドマイクが置かれ、メドレーが終わるとマイケルは(誰も立っていない)マイク1本1本を、ジャクソン5のメンバーとして紹介し、最後に一言「I love you all」とつぶやいたのです。このコンサートでは「She’s Out Of My Life」も歌われたんですが、それも含めて、「同伴者の不在」というイメージを感じさせる瞬間が多かったと記憶しています。山ほどの護衛と取り巻きに囲まれた緊張感と、心から触れあいたい相手がここにいないという孤独、そんなものを感じるコンサートでした。そしてその印象は、僕がマイケルを考えるときに必ず浮かぶものになってしまいました。
 上に書いたように、彼は「自分から奪われた」ものを求め続けたと思います。それは少年時代の無垢な日々だったり、「自分に相応しい賞賛」だったり。エルヴィスの娘と結婚し、ビートルズの曲を所有したマイケル。そうしたものを求めてしまうところに彼の心の「闇」があった、そして手に入れたあとそこにあったのは「手に入れられた満足」ではなく、やはり満たされない心。深読みしすぎでしょうか?
 兄妹との確執も噂されていた彼には、本当の意味での「友」や「叱ってくれる人」が(いつのころからか)いなくなってしまったのではないかと思っていました。何回にもなる整形手術も、ものすごい浪費も、すぐそばに「心から心配してくれる人」がいれば、彼の生活や才能を蝕むほど巨大なものにはならなかったのではないかと思います。晩年のエルヴィスがそうだったように、彼も「ひとりぼっち」だったのかも、と思うと、ファンのひとりとして本当に悲しいです。
 マイケルの成し遂げた仕事は、きっとこれからも僕たちを楽しませてくれて、その本当の価値はこれから理解されるのだと思います。自宅で呼吸停止状態で発見されたというマイケル、この世界で最後に見た夢はどんなだったでしょう。幸せな夢であってほしいと、願って止みません。
 ご冥福を、心からお祈りします。