ボブ・ディランの異色盤「Selfportrait」「Dylan」に思う

 ボブ・ディラン
 音楽ファンどころか、ほとんど世界的な著名人であるこの人ほど、つかみどころのない人はいないなあと、いつも思っていました。長い活動歴のなかで何度もスタイルや立ち位置を変え、ずっとシーンの「鬼っ子」のような存在であるこの人をちゃんと受け入れ、腑に落ちることなど出来ないのではないかと、ずっと考えていました。最近出た「Together Through Life」はなんと米英同時1位に輝き、ここ数年顕著だったディラン再評価の波が頂点に達した感もありますが、なんだかこれも落ち着かない。
 それはなぜかというと、その最新作が「どういうものなのか」わからないからです。もちろん良い作品ではあります。じゃあディランのキャリアの中で最新作はどのように位置づけられるかというと、これがわからない。突き詰めて考えると、結局ディランの作品はどれもそのように「単純な(過去の彼の作品や同時代の同業者との)比較や神格化では理解できない」奥深さを持っているような気になります。特に日本人の場合、あの膨大な言葉が障壁になり、なおさらわからなくなってしまいます。中山康樹氏は「ディランはなにも考えていない」をキーワードにして切り込んでいきますが、そんなわけないでしょ?いくらなんでもぶった切りすぎだよ、とは思うんですが、じゃあお前の考えは?と尋ねられると途方に暮れてしまう。ディランに関してはどんな書籍誰の文章を読んでもまったく「うんうん」と思えなくて、そんな存在はこの人以外にいないので、本当に困ってしまいます。
 最近はこう感じています。ボブ・ディランを今、同時代の人間が了解することはできないんじゃないか。あの膨大な作品、音源、発言をすべて総覧し、独りの芸術家としての価値や素晴らしさを語るのは、もう「未来の研究者」にしかできないのではないか。本当の意味での「評価」は100年後の専門家(?)にしか可能でなく、同時代のファンにできるのはただ「音楽を聴き、その深淵を覗き、楽しみおののく」ことなんではないかと。そう考えるとちょっと気が楽になります(笑)。
 今日聴いているのは「Dylan」と「Selfportrait」の2枚。ディランのファンなら「ははん」と思われるかも知れませんが、この2枚はディランの膨大な作品の中でも異色作です。「Selfportrait」は1970年、「Dylan」は73年に発表されたアルバムですが、他人の曲が大半を占め(「Dylan」に至っては全曲)、オリジナル作品とは捉えにくいものになっています。2作ともスタジオテイクは録音時期が近く、そのせいか「Nashville Skyline」期のあの「美声ディラン」が頻繁に顔を出します。内容もオリジナルあり、カントリーあり、伝承曲あり、ザ・バンドをバックにした「Like A Rolling Stone」(実に余裕たっぷりの演奏)ありと非常に雑多。
 特に異色なのはあのサイモン&ガーファンクルの「The Boxer」を取り上げているところ。タイミング的にはS&Gがリリースしてすぐくらいに録音している感じですが、ふだんの「ダミ声ディラン」とナッシュビル期の「美声ディラン」が多重録音でデュエットするという、なんというかディランらしくないものです。S&Gのオリジナルが「ダンヒルリズムセクションをバックに、ウォール・オブ・サウンドをS&Gなりに解釈した」緊張感溢れる名作なのに対して、ディランのそれははっきりと「カントリー」的な解釈で、オリジナルにはない不思議(不気味)な魅力をたたえています。「Dylan」の方はもっと極端で、エルヴィス・プレスリーのレパートリーやあの「Mr. Bojangles」なども収録されていて、アルバム単位で評価するというのはとても難しいです(「Dylan」はレコード会社が勝手に出したということで、なおさら評価しづらいことになります)。
 じゃあこの2作、まったく駄作かというとそんなことはありません。むしろ僕はけっこう好きなアルバムです。この2作でのディランは、ソングライター的な側面を(たぶん意図的に)隠し、ボーカリストとしての側面を強く出しているように感じます(ディランの声が聞こえない曲もあるんですが、まあそのへんはご容赦ください)。結果的にここでは、ふだんあまり語られない「ボーカリストとしてのボブ・ディラン」の魅力がよくわかるようになっています。声の感じが違う時期の録音であることは上に書きましたが、どの曲も実に力一杯歌っていて、そこが気に入ると、もう抜けられません。実はこの日記、某SNSでこのアルバム(「Dylan」)が話題になったことをきっかけに書いているのですが、そこである人が「ディランの鼻歌集」と表現されていたのがもう本当にピッタリくる、そういう感じのアルバムです。で、天才が鼻歌を歌うとどのようなものが生まれるのか。主観的に結論を書くと、「鼻歌でも天才のものには閃きがある」、そういう感じです。
 この2作のうち「Dylan」は上述のようにレコード会社が勝手に出したのがまずかったのか現在廃盤になっていて気軽に聴けないのが残念ですが、由緒正しく評価も高いオリジナルには感じられない不思議なカジュアルさと、ディランの「歌手としての力量」がよくわかる作品です。中古盤で見かけたら、ぜひ聴いてみてください。繰り返し繰り返し。きっと「!」と思う瞬間が来るでしょう。そうしたらもう、二度と手放せなくなりますよ。

Self Portrait

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