ウォークマン、YMO30年、そしてHMO(笑)

 ウッドストックが40年、アビイ・ロードや月着陸も40年ということで、なんとなく「40周年」記念モードで過ごしたこの夏でしたが、先日ある新聞で「ウォークマン30年」という記事を読みました。そうか、もうそんなに経つのか。
 あの製品の発売とヒットは、文字どおり人のライフスタイルを変え、風景を変えましたね。音楽を「外で」「個人で」聴くという行為がどれほど革命的だったかは、あのとき物心がついていてかつ音楽ファンだった人間にしか真の意味では実感できないものなのかも知れません。「風景を変えた」という表現には、街でヘッドフォンをして歩く人が出現したということでもありますが、もうひとつ、ユーザーにとっては「音楽を聴きながら見る風景は、それまでのものとは違って見える」(ですよね?僕はそうでした)ということも含めています。「外の世界との関わりを断って云々」という批判がずっとありましたが(そしてそれは、iPod時代の現在まで続いています)、音楽を聴くという営為が、実は非常に個人的な行為・体験であることを全世界的なレベルで証明してみせたものがウォークマンだったんではないかと思います。僕が実際にウォークマンを入手したのはその2年後、そしてそれは製品のタイプこそ「MDプレーヤー」「iPod」と変わってきましたが、今日までずっと身近にあるものでした。
 そして初代ウォークマンというと反射的に思い出すのが、あのイエロー・マジック・オーケストラです。実際のところは知らないのですが、僕がウォークマンを知ったのとYMOを知ったのがほぼ同時だったのです。どちらもとてもわかりやすい形で「未来」を実感させるものでした。ウォークマンはカセット再生機だし、YMOもまだ「アナログシンセをマニュピレイト」するものでしたが、そのコンセプトやビジュアルイメージは、本当に新鮮でした。以前このブログに書いたように、僕はその総てを全肯定していたわけではないですが、そうした違和感も含めて「歴史の転換点」(ちょっと大げさな表現ですみません)だったのでしょう。実際、もう僕たちは「ウォークマン以前・YMO以前」に戻ることはできないわけです。
 今聴いているのは、「HMO」。ご存知ですか?HMO。正式には「初音ミクオーケストラ」(笑)。実は僕も最近知ったんですが。あの「初音ミク」によるYMOのカヴァー集です。ミクはもう説明不要ですよね。アーチスト名は「HMOとかの中の人。(PAw Lab)」となっていて、知らない人にとっては「????」という感じ。要するに「初音ミクをとても上手に調教できる人が作った音楽」えー、僕もこの程度しか説明できなくてすみません(笑)。ジャケットに惹かれて購入したものでしたが、個人的には大当たりでした。聴く前はインスト曲には適当に萌え系の歌詞が乗っているのかなと思っていましたが、そんな変なお遊びはなく、ある意味「正統的な」ものでした。
 「東風」や「過激な淑女」「君に胸キュン」など、ミクの声がよく映えています。特に「音楽」と「以心電信」は、元々の歌詞や曲調とミクの声、そしてミクの「調教の具合」が絶妙で、聴き惚れてしまいました。男性が歌っていたものだったのに違和感がないのは、原曲の歌詞やアレンジ、そしてYMOのボーカルが元来マッチョさからは遠い「やわらかさ」を持っているためだでしょうね。アルバムの終盤、「Nice Age」「Technopolis」「Rydeen」のメドレーは実にカッコイイアレンジです。厳密なボーカル曲は「Nice Age」だけですが、ここでのミクは本当に生き生き歌っています。ボーカロイド独特の「固さ」も、YMOが当初打ち出していた「あえてヴィオルトーゾ的側面を排除して無機的にする」テイストによく合っています。
 CDの帯には「20世紀に想像した21世紀の声がここにある」というコピーがありました。シンセがソフトウエア化し、コンピュータがこれほど普及・高性能化し、人間の声を合成するソフトがヒットして、たくさんのアマチュアが優れた作品を、仮想空間(あえてこういう表現をします)に提示し、それがリアルタイムで視聴・評価されるなんて、ある意味「想像を超えた」ことだと思います。
 日曜日は総選挙ですが、僕はその日投票に行かれないので、今日仕事帰りに期日前投票に行ってきました。会場までの往復、そして帰宅するまでずっとこの「HMO」を聴いていました。僕の投じた一票はどう作用するのか、この世界の未来はどこに向かうのか?願わくばみんな平和で、ネギをくわえながら楽しく歌っていたいものです。

Hatsune Miku Orchestra

Hatsune Miku Orchestra