金木犀記念(?)コンサートの思い出(秋編)

 南関東でもようやく金木犀が香ってきました。今日出勤するときにほのかに鼻孔をくすぐる香りを感じて、同じ道を夜通ったときはかなりの雨にも負けずに強く香っていました。やっと秋本番ですね、僕の主観ですが(笑)。
 ロッキング・オンの11月号に「歴史的ライヴ100」という特集が掲載されていました。読んでいると高揚してくるような特集です(松村さんがビートルズの来日公演のことを書いていて、それはそれで興味深く読めましたが、個人的にはザ・フーの武道館公演について読みたかったです)。取り上げられているコンサートのいくつかは(ドンピシャ同じ会場ではなく、同一ツアーの別会場というのも含めてですが)自分もその場にいたというものがあり、そういうものはやはり「おっ」と思ってしまいます。僕もちょっと乗ってみようかしら、というわけで、今日のお題は「shiropが体験した個人的『歴史的』ライヴ」3本です。金木犀に敬意を表して(?)秋に観たもの限定でまいります。どうぞ気楽に読んでやってください。
 「トッド・ラングレン1993」。いきなりこれでナニですが、これは「キャンセルされちゃった」思い出です(苦笑)。
 このときのトッドは、「No World Order」というアルバムのツアー中でした。このアルバムは「ユーザーがリミックスを行える」特殊なハードを前提としたもので(リリースされたCD自体は通常のものでしたが)、コンサートもトッド一人が機材を操作し、音響効果と光による演出を同時に行い、パフォーマンスをするというものでした。で、僕たち観客は、秋の夕暮れ、雨の降る渋谷の路上で開場を待っていたんですが、開演時刻を1時間過ぎても会場になりません。8時過ぎになったとき、プロモーターと思しき日本人と、憔悴しきったようなトッドがライヴハウスの扉から出てきました。「えっ!?」と思ったその予感は的中、「音は出るのですが、機材が正常に動作しません。このコンサートは演出も含めてひとつの作品なので完全なものにできない以上キャンセルします」というアナウンスが。結局この日、コンサートは観られませんでした(日程は翌週に持ち越され、コンサート自体はちゃんと行われました)。が、これにはちょっと余談が。
 雨の中2時間以上待っていたファンの一部が「金を払った客に外で説明するのか!?」と詰めより、それでは中でご説明しますということになり、僕たちはみんなライヴハウスの中に入れてもらえました。そこで上記の説明を受けたんですが、そのあとにトッドが「お詫びのしるしに、ギターだけですが何曲か歌います」と言い出して、本当に歌い始めたのです。これはもう、今まで怒っていた人達も大喜び僕ももちろん大喜び(現金なもんだね)。曲は「Love Of The Common Man」や「Cliche」など、アコースティック1本でも映える曲ばかり、記憶では6曲か7曲、30分以上やってくれたんじゃないかな?もちろんどの曲もフルコーラス。トッドも謝罪の気持ちを込めてくれたのか力一杯歌ってくれていました。ラストはもちろん「One World」!会場全体で大合唱で、なんだか普通にコンサートが成功したみたいな変な(笑)光景でした。歌い終わった後も群がるファン一人ひとりと握手して言葉を交わしていたトッド(僕も握手してもらいました)、目当てのものは得られませんでしたが、思いがけない贈り物をいただいたような気分でした。
 「ポール・ウェラー1991」これは川崎のクラブ・チッタでのコンサートです。
 今では「そんな時代もあったねと」笑って話せますが、当時のポールはスタイル・カウンシルが解散し、本国ではどん底の状態でした。打開すべく始めたツアー「Paul Weller Movement」をそのまま日本に持ち込んだようなコンサートでした。思えばこれが、彼と日本のファンとの絆を本当に固いものにしたのかも知れません。上述のようにイギリスではあまり注目されていなかった時期のポールのコンサートは、超満員といっていい日本のファンで溢れかえっていました。「My Ever Changing Moods」は大合唱だし、「That’s Entertainment」は大受けだし、ポールがリッケンバッカーを手にしたら大喝采だし、ものすごい盛り上がりでした。このとき僕は生まれて初めてモッシュを体験しました。いや、本当にすごかった。この後イギリスでも息を吹き返し、今や大御所といっていい存在のポールですが、あのときからすでに「道」は用意されていたと、真面目に思います。
 「ラッシュ1984」これは今から25年前に実現した、あのラッシュ唯一の来日公演です。僕は日本武道館で観ました。
 30年以上に渡るキャリアがあり、ヒットしたアルバムも数多く、疑いもなく世界的バンドのラッシュが、なぜ1回しか来日していないか?定説では「日本では売れていないから」ということになっています。アルバムの売り上げも日本ではさほど高くないそうで、たくさんの機材を持ってきて演奏するほどの収益が見込めないらしいと言われています。実際、このとき僕が観に行ったのも、大学の友人から「もう二度と来ないだろうから観ておこう」と誘われたからでした(苦笑)。で、どうだったか?
 結論からいうと、とんでもなくレベルの高いコンサートでした。テクニックのあるバンドはいくつも生で観てきましたが、ラッシュは別格的に上手でした。今でもそう確信しています。そして、他の「楽器演奏のテクニックがすごい」バンドとの大きな違いは、ラッシュの演奏からは確かに「人間的なぬくもり」が感じられたことでした。これは僕があまり熱心なファンではないから感じたものかも知れません。すごいテクニックで複雑な曲を演奏していくんですが(たった3人で!)曲芸的な印象はなく、どこかに「歌心」とでもいうような生の感触があったのです。コンサート自体も非常に真剣な雰囲気で進行し、「ここにいる観客のみんなに、自分たちの音楽を届けたい」とでもいうような気持ちが伝わってくるようなものでした。
 それを裏付けるというと変ですが、このとき会場で売られていたプログラムは、びっしり日本語の文章が掲載されたものでした。僕は購入せず、友人が買ったものを読ませてもらっただけだったんですが(買わなかったことを今も後悔しています)、当時「Moving Pictures」から「Grace Under Pressure」へと、音楽性が変化しつつあることについての悩みや決意を真剣に綴ったものでした。利益が出ないからといって手を抜くのではなく全力で演奏し、言葉の壁があるなら日本語でプログラムをつくる、彼らの姿勢に僕は本当に感動し、もちろん奏でられる音楽にも感動し、このコンサートをきっかけにラッシュのファンになりました(そのわりにアルバム全部持っていないんですが)。実は数ヶ月前に、日本のある雑誌にゲディのインタビューが掲載されたんですが、そこでは「必ずまた日本に行くよ」と語ってくれていました。日本のインタビューだからリップサービスかな?いやいや、25年前のあの誠実な演奏を聴かせてくれた彼らがそんなことするはずない、必ずまた日本に来てくれる、そう信じています。
 今日はこの3つですが、他にも思い出のコンサートはいくつもあります(秋に限定しただけでも、本当に空で月が輝いていたボウイの「シリアス・ムーンライト・ツアー」、不思議な雰囲気だったモリッシーポール・マッカートニーもジョージもリンゴも。フーやキャロル・キングも秋でしたね)。最近は仕事も育児もありなかなか行かれませんが、また行きたいなあ、コンサート。
 追記:上に書いた3つのコンサートのうち、トッドとポールは妻と一緒に行きました(ポールのときはまだ結婚していませんでしたが)。トッドでは寒い雨の中待たされたあげくにキャンセルになり、ポールの時はモッシュでもみくちゃにされて、どちらも「二度と行かない」と言い渡されてしまいましたよ(笑)。特にトッドは、キャンセルしたときの衣装がちょっとパジャマみたいだったので、今でも妻はトッドのことを「あのパジャマ」と言っています(笑)。

Exit Stage Left

Exit Stage Left