思い出の「ソロモンの指環」

 ブログ友のlazyさんのブログを読んでいたら、動物行動学の日高敏隆先生が亡くなったというエントリーがありました。浅学の僕は日高先生についてちゃんとした追悼文を書くほどの知識も造詣もないんですが、先生の翻訳された、忘れられないご本がありますので、今日はそれについて書きたいと思います。タイトルは「ソロモンの指環」著者はコンラート・ローレンツ
 高校生ぐらいだったか、あるテレビ番組で、心の触れあえる友が欲しいなら、犬を飼ったらいいという内容の文章が朗読されるのを聴きました(朗読は、記憶が確かなら小堺一機氏)。都会で犬を飼うのは残酷だなどと考える必要はない、書斎の扉の前で君を数時間待つことも、そのあと少しだけ君と遊べるなら犬にとってはなんでもない、心の通った友情こそが犬にとってすべてなんだ、という格調高い文章で、著者名は聞き落としましたが、「『人 イヌにあう』の著者」というところは憶えていて、そこからコンラート・ローレンツの名前を知り、そしてその文章がある名著「ソロモンの指環」に辿り着きました。
 上に書いた朗読の箇所は、この本の第8章「なにを飼ったらいいか!」にあります。犬に関する部分は短いですがそれだけに心動かされる名文で、僕が今犬を飼っている理由のいくばくかは、この文章を読んだことだといえます。今我が家には3冊の「ソロモンの指環」があります。1冊は早川書房の単行本、2冊はハヤカワ文庫。最初に単行本を買い、その後持ち運びように文庫を1冊買い、そして(たぶん)数年後に、文庫本がどこにいったかわからなくなり再購入したものです(苦笑)。ちなみに失った1冊目の文庫本もその後出てきました(笑)。
 文庫版のあとがきでは、晩年のローレンツは奥様やお子さんに先立たれ、動物行動学の分野でも徐々にローレンツの従来学説と最新の研究とが乖離していき、寂しそうだったと書かれています。学問とはそういう宿命を持ったもので、仕方がないことだとは思います。でもこの「ソロモンの指環」は、どれだけ時代が進み研究が進もうとも(書かれている学問的言説が時代遅れになろうとも)、変わらぬ価値を持っています。それは動物に対する愛情深い眼差しであり、たくさんの動物と生活を共にした著者だから書ける「共感の本」だからだと思います。
 この本は最初から最後まで面白く楽しく、そして感動的ですが、僕が読みながら心動かされた名文は、日高先生の言葉でもあったわけです。僕は偉そうに「お悔やみ」を述べられるほど日高先生の業績を知りませんが、昔僕が胸を打たれた箇所をここに引用したいと思います。読まれたみなさんが、僕がそうだったように心に受けとめてくださったら、こんなに嬉しいことはありません。

「もしきみが孤独な人間で、住まいの中にだれかがいて帰りを待っていてほしく、そのものとの心のかよう接触をしたいと思うのなら、イヌを買いたまえ。都会の住宅の中でイヌを飼うのは残酷だなどと考えることはない。イヌが幸福であるかどうかは、なによりもまず、きみがどれだけの時間イヌといっしょにすごせるか、どのくらいしばしばイヌがきみの散歩のお伴をして歩きまわれるかにかかっている。書斎の前で数時間きみを待つことも、そのあとで十分ほどきみといっしょに散歩にゆける(ママ)のなら、イヌにとってはなんでもない。心のかよう友情がイヌにとってはすべてである。しかしそれは少なからぬ義務を伴うものであることを忘れてはならない。なぜなら忠実なイヌとの友情は、ひとたびなりたったらもはや断ちがたいものだからである。彼を手ばなすことは殺人にもひとしい。それからもう一つ、もしきみがとくに繊細な神経の持ち主だとしたら、きみの友人の寿命がきみのよりずっと短いこと、十年から十四年後にはかならず悲しいわかれがやってくるのだということも忘れてはならない。」(「ソロモンの指環」コンラート・ローレンツ著 日高敏隆訳 引用は早川書房1988年改訂5版より)。

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)