ボブ・ディラン来日!そして意表をつく新譜について

 ボブ・ディランがやって来る!しかも3月に!しかもライヴハウスのツアー!
 と「!」を3つ続けてみましたが本心です。前回の来日は8年か9年前でしたっけ?僕も1回観に行き、非常に丁寧な演奏に驚き(その前が非常にラフだったのでなおさら)、ついでにギタリストとしてチャーリー・セクストンがいたのにも驚きました。今回は久しぶりの来日ですが、そのときと現在では、ディランを迎える状況はまったく(?)違います。いうまでもないですが、この数年顕著な「ボブ・ディラン再評価」の機運により、今やディランは(ここ日本においても)再び「注目の存在」になっています。21世紀になってから出したオリジナルアルバムはどれも高評価、「ブートレッグ・シリーズ」も盛んだし、自伝も出た。特に今年は「Together Through Life」が米英1位に輝くなど、何回目かの「ピーク」といっていいでしょう。そんないい時期に、しかも小さいハコでコンサートを体験できる、これは願ってもないことです。日本でのディラン人気というのはなかなか読みにくく、知名度ほどではないような感じですが、今回はライヴハウスでチケット数が少なかったこともあり、招聘元などの先行予約も出足がかなり早いようです。僕はなんとか1回分予約しました。欲を言えばもう1回くらい行きたいのですが、日程がもろに期末で、仕事の状況などが読めないので、今のところここまでの動きで様子見です。でももし行けたら嬉しいですね。なにしろディランをライヴハウスですからね。
 ところでディランに関しては最近別の動きもありました。もうご存知でしょうが、新譜が出ました。題して「Christmas In The Heart」。タイトルを知ったときは、ルー・リードの「Xmas In The Feburary」みたいなものだろうと想像していたんですが、なんと「本当に」クリスマス・アルバムでした(笑)。ジャケットもそのまんまだし、カードまでついているし。もちろん著名なアーチストのクリスマス・ソングやクリスマス・アルバムはたくさんありますが、これはちょっとビックリです。日本盤ライナーで萩原健太氏も驚いてらっしゃいました。で、肝心の中身ですが、なんのヒネリもなく「ディランがクリスマス・ソングを歌った」ものでした。変なフェイクやロック的アレンジもなし。とても上品でゆったりした調子です(でもコテコテのポピュラーアレンジというよりは、いくぶんロック寄りかな?)。ディランの声はいつもの「あの声」ですが、リラックスしながらもメロディをしっかりフォローした歌唱で、聴く前に予想したような違和感はありませんでした。以前「Dylan」「Selfportrait」を話題にしたとき書きましたが、ディランが本来持っている歌手としての実力がよく出た内容になっています。
 最大の謎である「なぜ今、彼がクリスマス・アルバムを出したのか」ですが、これはなかなか難しい問題ですね。というか、難しく考えればいくらでも考えられるというところです。ご存知のとおりディランはユダヤアメリカ人ですから、その出自や宗教的バックボーンなどを考えてしまいます。「日本人が考えるほど欧米人はこういうアルバムを作ることへの抵抗がない」といえるかも知れませんが、ライナーで萩原氏が「このアルバムのリリースによりイスラエルインターネットテレビで話題(アメリカのユダヤ系グループ)が混乱している」(注:カギカッコ内は引用ではなく要約です)と紹介されているので、やはりすんなり受け入れられたわけではないようです。例の「キリスト教時代」との繋がりがあるのかないのか、もっとおおらかに捉えるほうがいいのか?アルバムの内容に屈託がなく質が高いのが、なおさら謎めいて感じられます。このアルバムはチャリティレコードで、印税はすべて寄付されるという「実益」もディランらしくないともいえます。これまでのディランの活動と同じく、このアルバムも長く論議や考察の対象になるのかも知れませんね。
 来日まで約3ヶ月。英国公演では殆どギターを弾かずにステージに立ったというディラン御大。多くのベテランアーチストが(良くも悪くも)予定調和的な活動をしている中で、今だに予測も予断もできない道を歩く偉大な先達がどんなステージを見せてくれるのか、今から楽しみです。

クリスマス・イン・ザ・ハート

クリスマス・イン・ザ・ハート

 追記:萩原健太氏のライナーはとても読み応えのあるものでした。氏も「ディランがクリスマスレコードを出す理由や根拠」に苦しんだらしく、ニューヨーク在住のユダヤ系知人との会話(このアルバムが出る以前らしいです)を例に出し、「彼は特に信心深い男というわけではないのだが、クリスマス時期に誰かから”メリー・クリスマス”と声をかけられても、絶対にそうは応えない(原文ママ)と言っていた。あくまでも”ハッピー・ホリデイズ”と返事するという。それがユダヤの伝統だ、と。(中略)この交わらなさ加減。やはり別物なのだ。」と書かれています(この段の「カギカッコ内は引用です」。
 この内容自体は特に問題ないものですが、ユダヤ人の定義は実は非常に難しく、この例に出てきた「知人」の宗教的・民族的立場が必ずしもディランと同じとは限らず、ユダヤアメリカ人の立場を代表するものでもないのではないかなあと思いました。「なにがユダヤ人か」という問題は、例えば民族というものに対する考え方や、歴史的考察などにより揺れますし、イスラエルの「帰還法」(イスラエル国籍を認めるかどうか決定する法律)での定義などもあり、実際は単一の物差しでは決定できないはずです。母方がユダヤ系であってもキリスト教を信仰する場合、帰還法で定める定義からははずれるわけで(そして、そういう人はたぶんとても多いはずです)、それだけ考えてもとても難しいと思われます。萩原氏のライナーに不備があるわけではないし、しっかり書かれたものだと評価していますが(だから皆さん、買うなら国内盤ですよ)、「この交わらなさ」という表現は少し違うのではないかと感じる部分もあり、浅学ながらここに記しました。