ボン・スコットの命日にチケットが届く

 今日、届きました。AC/DCのチケット。結局行くことにしました。追加の3月14日。12日は仕事で行かれないので諦めざるを得なかったんですが、14日ならさすがに1日休みで行かれそうだったので、家族を拝み倒して行けることになりました。まあ決心が遅かったので席はよくないですがそれでも行けることになって嬉しいです。
 9年ぶりの来日で、一度も観ていない僕はもちろんですが、一般的にも盛り上がっているんですね。今売っている「Burrn!」誌でも巻頭特集を組んでいました。もちろん買いました(この雑誌を買うなんて何年ぶりでしょう)。読んでいると興奮してくると同時に感動もしてきます。AC/DCのようなバンドは「言葉で語る」ことが難しいバンドで、日本のように「実物に接する機会の少ない」「言語が違う」ところではそういう特性(メディアで取り上げられる機会が相対的に少なくなってしまう)はマイナスに作用するんですが、このバンドはちゃんと日本でも高い人気を保っています。あまり言われないことですが、そういう部分こそが日本の洋楽ファンの成熟を現していると思います。そして同時に、AC/DCというバンドの殆ど奇跡的といっていい、不思議なポジションも現していると思います。なにしろやっている音楽は「アレ」で、「アレ」はもっともマンネリ化しやすいものなのにもう30年以上維持していて、しかも評価も人気も高いと。これは言葉で「批評」しようとすると最も手強いというか「歯が立たない」もので、音楽のマジックを感じずにいられません(僕はラモーンズにも同じような気持ちを抱きます)。ロックの神様に「これは、君達がやってね」と言われたんじゃないか、そうでも思わなきゃ信じられないほどです。
 今日はチケットが届いたのを記念して、AC/DCをよく聴きました。コンサートの予習も兼ねて「Live」を主に。タイトなリズム、キャッチーなリフ。疲れを知らない絶叫型ボーカル。これだけ。なのになぜか、どれだけ聴いても飽きない。分析しようとすればするほど、音楽から嘲笑われているような、自分の「頭でっかちさ」を気づかされるような、不思議な音楽です。
 奇しくも今日は、あのボン・スコットの命日でした。1980年2月19日ですから、もう30年です。僕はボン時代のAC/DCは知らなくて、ブライアン時代しか経験がないんですが(初めて知ったのが「AC/DCというハードロックバンドのボーカルが亡くなった」というニュースだったんです)、後に聴いたボン時代から、本質的には何も変わらず、美しい音楽(意味、伝わりますよね)を奏で続けていると心から思います。「Burrn!」誌では何回も「これが最後の来日になりそう」と書かれていましたが、いやいや、このバンドには(他にもいくつかある偉大なバンド、ミュージシャンと同様)常識や憶測は通用しないんじゃないかな。ともあれ、あと1ヶ月弱、楽しみに待ちたいと思います。

AC/DC Live: Collector's Edition

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