小ネタ もしかしてAC/DCって知性派?

 「大人になったらなにをしたいですか?」「今のは冗談か?僕たちは全員大人で大人のビジネスをしているんだ」
 若干意訳ですが、これはビートルズが来日したときの記者会見での一コマ。質問者は日本人の記者、答えたのはポール・マッカートニーです。あの有名な記者会見のなかで、僕はこのやりとりが一番印象的で、なにかあるとすぐに思い出します。世間的には「アイドル」だったビートルズは、特に日本では「若造」というイメージだったのでしょうが、当然ですが実際はワールドワイドのビジネスをしていて、しかも(今から思い返せば)その後何十年も評価され続ける音楽を創造していたわけです。ここでこの記者が代表する世の中の無理解や不見識を指摘することはしません(実際、この質問をした記者は不見識だと思いますが)。逆から考えて、記者がそんなふうに考えるほど当時のビートルズは輝いていて、深読みができなかったのかも知れません。
 明日、僕は生まれて初めてAC/DCのコンサートに行きます。彼らについてはあの強烈なキャラクターと「変わらない」というコンセプトが確立されていて、そこからバンドを考えるということが普通です。僕もそういうふうに考えています。
 でも、ちょっと前に買ったAC/DCの本(ロッキング・オンから出たもの)を読んだときに、少し違うことを考えました。この本の中に登場するエピソードですが、ある記者が、なぜAC/DCのアルバムは似たようなものばかりなんですかと尋ねたときのアンガスの回答が次のようなものでした。
 「本当にそう思う?それなら良かった。何故ならば、それこそが俺達の狙いなんだ」
 これ、どう思いますか?僕はこれを読んだとき、なんだかゾッとしました。彼らはなにもかもわかっていてやっているんじゃないか。彼らのインタビューは(そんなに読んだことはないですが)いつも自分たちのキャラクターに忠実なものですが、その「ブレなさ加減」が、もしかするとすべて「ちゃんとわかっていてやっている」のではないかと思ったのです。もちろん彼らにものすごく周到なイメージ戦略があると考えるよりも、やはり素(す)の彼らがああいう人間性・音楽性を持っている、それに忠実なんだと考える方が自然です。でもそこに、ある種の天才、自分たちの個性を普通の人間・普通の才覚では考えられないほどのレベルで純度を高められる才能が備わっていて、「アレ」が成立しているのではないかと、そんな風に(上記のアンガス発言を読んで)思ったのです。
 冒頭に書いたビートルズの記者会見の事例にあるように、今から思えば自明のことに気づかない世間という、強すぎるパブリックイメージ(や思いこみ)によって生じる「陥穽」が、AC/DCに起こっていないとは、どうして断言できるでしょう?もちろんこれは、受け手である僕たちの問題ですが。
 明日の今頃、僕は彼らのステージを体験し終わっているはずです。目の前で繰り広げられるあのものすごい(純度の高い)ロックンロールに、なにを感じるのでしょうか。僕が本から感じた気持ちはどのように変化するのか、新しいなにかを発見するのか。今頃になって、「単純明快・深読み不要」と思っていたバンドに対して、今までと違う意味でドキドキしています。

AC/DC (rockin’on BOOKS)

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